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南直哉『死ぬ練習』――「自分を大切にしない」姿勢とは何か

死をめぐる「錯覚」を解毒する

佐藤美奈子 編集者・批評家

死と隣り合わせの経験を日常的に繰り返して

僧侶・南直哉さん=2012年5月、青森県むつ市の恐山菩提寺で拡大僧侶・南直哉=2012年5月、青森県むつ市の恐山菩提寺で

 さて、『死ぬ練習』である。本書の内容が、タイトルから想像される「死ぬまでに人は何をすべきかという、死の準備やいわゆる『終活』のすすめ」でないことは、「はじめに」冒頭で断られる。まず、死は「絶対にわからない」(経験できない)純粋観念であり、「死に関して言葉にできるのは、途方もなく法外な何事かによって、『自分であること』が突如断ち切られるということのみである」ことが、押さえられる。

 はた目には、死(涅槃)をめざして修行するのが仏教だと見られる。だとすれば仏教の修行は「死ぬ練習」とも言えるだろう。そのような仏教が、「死が何であるかまったくわからずに、ただそれに直面しなければならないわれわれ」に与える示唆があるのではないか。そうした観点で、著者が自身の体験とともに死と向き合い、死についての考えをわかりやすい言葉で披歴したのが、本書である。

 死について考えを巡らせるようになった著者の原点には、小児喘息に苦しみ、何度も「終息状態」に陥ったという幼年期の経験がある。「終息状態」とは「完全に呼吸を止められて目の前が真っ赤になり、もうダメだ……という刹那に、どこかに穴が空いたかのように細い空気が肺に通る」ような、「お話にならない苦しさ」のことだそうだ。つまり、文字通りに死と隣り合わせの経験を「日常的に繰り返し」た原点によって、著者は死を問わざるを得ない性癖を身につけて成長し、現職に至ったことになる。

 このような書き手が、人々はどのように死を受容するか、他者の死は生きている人にどのような影響を与えるか、「仏教における死」にはどういう特徴があるか、などについて語る言葉は直截で、容赦がない。だからこそ、読む者の拠って立つ足もとをよく照らしてくれる。

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筆者

佐藤美奈子

佐藤美奈子(さとう・みなこ) 編集者・批評家

1972年生まれ。書評紙「図書新聞」で記者・編集者をつとめた後、2008年よりフリーランスに。現在、講談社などで書籍編集・ライターの仕事をし、光文社古典新訳文庫で編集スタッフをつとめる。自身の読書の上では吉田一穂、田村隆一といった詩人の存在が大きい。「死と死者の文学」を統一テーマに「古井由吉論」「いとうせいこう・古川日出男論」(各100枚)を『エディターシップ』2、3号に発表。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです