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50年代の「野獣」を蘇らせたリップ・ヴァン・ウィンクルの物語

【2】「野獣死すべし」の原作を読んでみた

中川文人 作家

 松田優作主演の映画『野獣死すべし』(1980年)で最も印象に残っているのは、松田優作が演じる伊達邦彦と彼を追う柏木刑事(室田日出男)が夜行列車の中で対決するシーンである。伊達は柏木刑事に銃口を向けながら「リップ・ヴァン・ウィンクルの話って知ってます?」と静かに語り始める。

 映画公開時、高校生だった私は、友人たちと何度も繰り返し、このシーンを再現した。対面式座席の列車に乗った時はもちろん、ファミレスで向かい合った時も、伊達邦彦の特徴である「夢見るような表情」をして、私たちはリップ・ヴァン・ウィンクルの物語を語った。

伊達邦彦はなぜリップ・ヴァン・ウィンクルの物語を語ったのか

拡大イラスト・斉田直世

 今振り返ると、そんなことをして何が面白かったのかわからないのだが、このシーンには高校生の琴線に触れるものがあったのだろう。

 リップ・ヴァン・ウィンクルの物語は、アメリカのオランダ系移民の間に広がる伝承で、アメリカ文学の父と呼ばれるワシントン・アーヴィングの短編集『スケッチ・ブック』に収載されている。

 話の内容は、映画の中で松田優作が語っている通り。狩りに出かけたリップ・ヴァン・ウィンクルが山で小人と出会い、酒をご馳走になる。リップ・ヴァン・ウィンクルはしたたかに酔い、深い眠りに落ちる。目が覚めると辺りの様子が変わっている。小人もいない。山を下りて村に帰ると村の様子も変わっている。妻もいない。寝ている間に20年の歳月が過ぎていたのだ、というアメリカ版の浦島太郎物語である。

 柏木刑事はこの話を聞いて、「あんたには、はじめから妻なんていなかったじゃないか」と言う。それに対して伊達邦彦は「僕の話をしてるわけじゃないでしょう。リップ・ヴァン・ウィンクルの話をしているんですよ」と答える。

 たしかに伊達の言う通りで、伊達はリップ・ヴァン・ウィンクルの話をしただけだ。ではなぜ、伊達邦彦はリップ・ヴァン・ウィンクルの話をしたのか。なぜ、刑事との対決という重大な局面でリップ・ヴァン・ウィンクルの話をしたのか。何度映画を観ても私にはわからなかった。

 それで、この映画の原作、大藪春彦の小説『野獣死すべし』を読むことにした。

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筆者

中川文人

中川文人(なかがわ・ふみと) 作家

1964年生まれ。法政大学中退、レニングラード大学中退。著書に『身近な人に「へぇー」と言わせる意外な話1000』(朝日文庫)、『地獄誕生の物語』(以文社)、『ポスト学生運動史』(彩流社)など。本の情報サイト『好書好日』で「ツァラトゥストラの編集会議」の構成担当。総合誌『情況』にてハードボイルド小説「黒ヘル戦記」を連載中。

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