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声を出さない「掛け声」、お客様の期待を肌で感じて

沢村豊子師匠のルーツでもある佐賀で

玉川奈々福 浪曲師

予防策、定着してきたのですが

  奈々福の旅日記……更新が滞って申し訳ありませんでした。 

玉川奈々福=©和知明
 お陰様で、秋から年末にかけて、ちょっと忙しくて書くことができませんでした。

 こんな時期に……ありがたいことです。

 ああ、ありがたいことに旅の仕事がようよう復活してきたな……と嬉しく思っていた。

 ところがどっこい、この第三波の大嵐。

 緊急事態宣言、再度発出……!?

 悲鳴が、聞こえてくるようです。

 どこまで、頑張ればいいのか、この先どうなるのか。

 私自身、不安でいっぱいなのを、ぐっと飲みこんですごすような日々です。

 演芸に関して言えば、春からこのかた、どのように対策をとれば感染拡大を防げるか、さまざまな実験・検証がなされてきたことにより、わかってきました。

 舞台と客席の感覚をあけ、消毒をし、マスクを着用していただき、掛け声等はご遠慮いただき……など、対策をとることで、今までとは同じ状況ではないながらも、楽しんでいただけるようになってきたと思います。

 もちろん、家から出る以上、リスクはゼロではないし、ご不安な方々はおられると思います。ましてや、人を集めて会を主催してくださる方々のご負担とご心労は大変なものです。

 それを思うと、辛い。

 だからこそ、それでも、浪曲で楽しんでもらいたい、奈々福を呼びたいと会を開いてくださる方々には、嬉しい、という言葉では表せない気持ちを抱きます。
もう、精いっぱい応えたい!

 と思うからか、そして、お客様のほうでも、やはりずっと演芸が聞けず見られず我慢されていたからか、この秋、稀有な場をいくつか経験しました。

佐賀の席亭、心意気が「浪花節」

沢村豊子師匠(左)と筆者
 11月末。佐賀公演。

 毎年、秋には九州巡業があって、各地域のお席亭が相談して、コースを組んでくださるんです。熊本、長崎、久留米、佐賀、福岡……今年も、長崎→佐賀→福岡の、2泊3日の浪曲旅芸人の予定だったのですが、長崎と福岡が中止になってしまった。

 だから、佐賀も無理だろうと思っていました。

 だって。

 私たち一行は3人。奈々福と豊子師匠と、後見の弟子1人。そのノリ賃(交通費)と宿泊費。会場はいっぱい入れても100人ちょっとの場所。1000人も入るようなところではないのです。それを、1か所の興行で持つのは大変です。

 「それでも、奈々福さんを待ってるお客さんがいるんです」

 ……お席亭のTさんの、その心意気。なんという浪花節的な!

 でも、こんな状況で、その100人のお客さんを、集められるのだろうか。

 感染拡大がおさまらない東京から行って、嫌われるんじゃなかろうか……。

 不安に思いつつ、羽田空港からひょいとひととび。

 空港から、車で、佐賀市内へ。

 毎年呼んでもらって、もう5年になります。

 佐賀には特別な思いがあります。

 佐賀は「沢村豊子」発祥の地なんです。

 沢村豊子……もう足かけ18年、私を弾いてくれている名人のお師匠さんです。

 前々から、佐賀に来たら、一度訪問したい場所がありました。

 佐賀劇場跡。

 佐賀市に、かつて佐賀劇場という劇場がありました。残された写真を見ると、とても洒落た立派な劇場です。外観は洋館風。中は、昔ながらの畳敷きの升席で、400人以上収容できる劇場だったそうです。

 浪曲はとくに人気で、関東関西の一流浪曲師が、興行を行い、「佐賀で浪曲の興業をやって損したことがない」と言われたそうです。

 残念ながら昭和41年に閉場し、いまはあとかたもありませんが、なにを隠そう、ここが「沢村豊子発祥の地」。

「曲師、沢村豊子」が旅立った場所

沢村豊子
 沢村豊子師匠は、曲師(浪曲三味線)の第一人者。ダイヤモンドの粒のような音色を、撥先からぽろぽろぽろぽろ、日々こぼしては聞く人の耳を翻弄しておられます。

 昭和12年福岡県大牟田市のお生まれ。小さい頃に佐賀県の、いまの武雄市に引っ越されました。

 西杵炭坑という炭坑のあった街で、お師匠さんのお父さんは、もともとは節劇専門の浪曲師だったそうです。

 WHAT IS 節劇?

 浪曲とお芝居が混ざったもので、舞台の上手側に浪曲のしつらえがあり、筋は浪曲ではこばれ、その間役者さんは、だんまりで芝居をします。人形浄瑠璃の、人形が人間で、浄瑠璃が浪曲になったバージョン……という感じです。

 ところが、声のいいのをねたまれてお茶に水銀を入れられたことから声が止まってしまったのだそうです。

 ええええっ!? 昼ドラのストーリーみたいな、現実の話。

 以降浪曲をやめて呉服の行商をするようになった。

 そんな家に生まれた豊子師匠、小さい頃から体が弱く、他の兄や姉たちには家事労働をさせられているのに、ご両親は豊子師匠にだけはさせず、踊りや三味線を習わせたのだそうです。

 昭和22年のとある頃。

 浪曲の一行が佐賀劇場にかかりました。佃雪舟一座。座長の佃雪舟は、自分を弾く専属の曲師を育てたいと思って探していた。その情報を聞きつけたのは、豊子師匠のお母さんの知り合い。その人が、幼い「とよちゃん」に目をつけたのです。

 「おたくのお嬢ちゃん、三味線やってるよね」

 武雄から佐賀までかなりの距離があります。それを、その人の手にひかれて行った幼い豊子。習っていたのは、細棹三味線だったのに、佐賀劇場の楽屋では、浪曲の太棹三味線を弾かされた。天性の筋の良さがあったのでしょう。大人たちは豊子のまわりで、

 「いけるんじゃないか?」とかなんとか話をしたらしく、幼い豊子にこう言った。

 「お嬢ちゃん、東京に行くかい?」

 大きくなったら踊りのお師匠さんになりたいと思っていた豊子。「東京に行く」=「踊りのお師匠さんになれる」と思った。

 「行く!」

 ……それを、なんとご両親も許したのだそうです。

 数えで11歳になったばかりの豊子は一座の巡業に加わって、佐賀をあとに旅から旅を経ながら東京へ……浪曲の曲師としての人生が始まったのです。

 と、長くなりましたが、つまりはおさない「とよちゃん」が芸人になった、「沢村豊子発祥の地」が佐賀。

 豊子師匠とのご縁のことを思えば、その地を、しっかり見ておきたいと、今までに二度ほど、その場所に立ちました。

 劇場はなくなってしまったけれど、跡地の脇を流れる小川には、「劇場橋」という橋がいまもかかっています。

洒落た洋館に熱気が満ちて

 その劇場跡からほどちかいところに、浪漫座という素敵なイベントスペースがあります。旧古賀銀行の建物をリノベーションした雰囲気のある洋館。天井が高く、声の響きもすばらしい、木をふんだんに使った内装もすばらしく、とても洒落た空間です。

浪漫座での独演会=佐賀市
 いつもどおり、スタッフの方々が準備万端整えてくださっていました。

 チラシ制作、宣伝、当日の音響、照明、受付……このイベントのために何人もの方々が動いてくださっている。

 お席亭のTさんいわく、予約はけっこう入っているとのことだけれど、このご時世、土壇場でキャンセルも出るのではないか、やっぱり心配、とのこと。

 でも。

 主催の方々も覚悟を決めて呼んでくれて、ここまでもう来てしまったのです。

 こっちも何があろうが覚悟を決めて、自分なりに懸命に舞台を務めるしかない。

 そして、舞台の準備が整い、開場になりました。

 そうしたら。

 びっくり。

 過去5年の公演で一番お客さんがお運びくださったのです。

 浪漫座の客席は横長なのですが、右から左まで、びっしりのお客様。

 100人……どころではないな。間隔をあけつつも、何人入っているんだろう。
ちょっと、息を呑んでしまいました。

 みなさん、マスクをして、掛け声も控えて、でも万雷の拍手でお迎えくださいました。

会場で掲げられた「まってました」。書いたのは佐賀県在住の画家、塚本猪一郎さん。佐賀での奈々福浪曲会のポスター、チラシは全て塚本さんが手掛けている。
 手に手に、みんな四角いモノを持っている。

 え……?

  「おかえりなさい」「まってました」「たっぷり」

 掛け声がかけられないかわりに、プラカードをつくって待っていてくれたんです。

 そのときの、会場の雰囲気といったら……なんともうしましょう。

 とにかく、熱い思いが充満している。

 その充満しているんだけれども声が出せない客席から私が受けた「感じ」を、あえて文字化すると。

 「や~奈々福さん、来ちゃったわ! わはははは、ほんとに来ちゃったわ、こんなときに!」

 「も~ね~奈々ちゃん、ナマの演芸ひっさしぶりなんだから、頼むよ、こっち、わくわくしてんだからっ!」

 「わ~豊子師匠も来てくれたああああ~!」

 「奈々福ちゃーーーん、今年もアタシ来たわようっ! 覚えてる? 毎年来てるのよ。アタシよ、アタシ!」

 えっと~。

 ここ、大阪じゃないよね。天満天神繁昌亭じゃないよね。

 佐賀のこの会に来てくださるお客さんは、とってもシャイである、という印象だったんです。

 すご~く感度はいいんだけれど、それを表に出すのは恥ずかしくって、うつむいて声を殺しながらくすくす笑ってる感じ。

 ところが今年。

 声はひとつも出していないのに、客席が、興奮ではじけそうな雰囲気なのです。
その、客席の「圧」に圧倒される。

 ほんとに、ぐ~~~~っと、お客さんの期待の「気」が迫ってくる。

 ををををを……。って、圧倒されてる場合じゃない。

 これを、声の「圧」で、精いっぱいの圧で覆いかえさなくちゃ。

 電脳空間では伝わらない、ナマでしか感じてもらえない響きを、感じてもらわなくちゃ。

 いくわよ。

奇跡のような佐賀の一夜

 出した。出した。出しまくりました。声を。

 浪漫座は、とっても響きがいい。残響のよさに、さらに体が気持ちよく開いていく感じ。

 身を、捧げる感じです。身体を、心を、声を、息を、使い倒して身を捧げて、芸に尽くす感じです。

 そしたらね。

会場で掲げられた「日本一」も佐賀県在住の画家、塚本猪一郎さんの手になるもの
 本来なら拍手や掛け声が欲しいタイミングで、見事に「日本一」というプラカードがぶわっとあがり、拍手が起きます。

 そのタイミングの良さたるや……佐賀のお客さん。いつのまにこんなにお客さんのプロになっちゃったんだろ。

 エンタメは不要不急。

 命にかかわる場面では私たちは何をすることもできません。

 世の流れに従うばかり。

 でも、そんな中で、見たい聞きたい思いをためて、こんなに待っていてくださったことに、涙がこぼれそうでした。

 新作一席に古典一席。

 二席目は古典の「赤穂義士銘々伝 赤垣源蔵徳利の別れ」。

 客席の随所で涙腺決壊状況が……浪曲やってて、本当によかったなあ。日々の現実からひとときはなれて、物語に遊んでもらうことができたなあ、と思いました。

 芸の現場って、一方的なものではないんですよね。

 たとえ言葉は交わさなくても、声は出さなくても、来てくれた一人一人のお客さまのお顔が見えて、お客様も私の顔を見て。そこに、交流があります。交歓があります。

 浪漫座の会場が、あたたかい気で満ちました。

 奇跡のような夜でした。

 「禍」の状況は、キツイけれども、その状況だからこそ、いつもよりも幸せを感じることができますね。

 この先、まだまだわからない。いつ仕事がふっとなくなってしまうかもわからない。

 それでも、耐えて頑張っていこうと思う心の糧を、お客様からいただきました。

 ありがとう。

玉川奈々福さんの本が出ました 

 
 『浪花節で生きてみる!』
 (さくら舎、1600円+税)

「浪曲」とはどんな芸か
「浪曲師・奈々福」ができるまで
偉大なる先人たちの横顔
亡き師匠・玉川福太郎への思い
語り芸の歴史とその中に息づく魂……
などが、わかりやすく、テンポよく、熱く、たっぷり綴られています。浪曲入門書としてもおすすめです。