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角川武蔵野ミュージアム――本棚の雑木林へ

渡部朝香 出版社社員

 2020年暮れのNHK紅白歌合戦の目玉の一つに、YOASOBIのテレビ初出演があった。年間総合ソング・チャートで1位、ストリーミングの再生回数は3億回というヒット曲「夜に駆ける」は、投稿サイトの小説を「原作」としている。「埼玉のとあるところから」とYOASOBIのパフォーマンスが中継されたのは巨大な本棚のある空間、昨年(2020年)秋にオープンしたばかりの角川武蔵野ミュージアムだった

 国といっても、バチカンやツバルもあれば、中国やアメリカもある。出版社も、いぜん紹介した「共和国」(「ひとり出版社「共和国」の野望と恥じらい」)のように個人の経営によるものもあれば、大規模なコングロマリットもある。角川書店あらためKADOKAWAは、まちがいなく後者の代表格だろう。

 角川武蔵野ミュージアムは、2020年11月6日にグランドオープンした「KADOKAWAによる日本初のコンテンツモール」、ところざわサクラタウンの中にある。

ところざわサクラタウンの一角。KADOKAWAのオフィスなどが入っているところざわサクラタウンの一角。KADOKAWAのオフィスなどが入っている=撮影・筆者

 オープンまもないころに、同館を訪ねた。

 きっかけは、10月に刊行されて手にとった、三浦しをんさんの『ぐるぐる♡博物館』(実業之日本社文庫)だった。日本各地の一風変わった博物館のルポに心踊らされ、おもしろい博物館に行ってみたい思いが募っていたところ、角川武蔵野ミュージアム開館の報道に触れた。

 時間帯指定の予約制チケットで、都心へ向かう混んだ電車の利用は避けられる。外出に気をつかう折、子どもを連れていくのにもちょうどいい。チケットをネットで購入し、東所沢に向かうことにした。

巨石と神社――いかがわしさをあえて打ち出した施設

 KADOKAWAが所沢浄化センターの跡地に新社屋を建設し、本社機能の半分を移転すると発表したのは、2018年のことだった。KADOKAWAと所沢市は産官共同のプロジェクト「COOL JAPAN FOREST 構想」を立ち上げ、その拠点となる、ところざわサクラタウンが竣工したのは、2020年の4月のこと。

 巨大な施設内には書籍の製造・物流工場もある。KADOKAWAが印刷と流通を自社で担う方向へ大きく舵を切ったことは、出版業界でも耳目を集めている(「KADOKAWAが埼玉・所沢で建設中のデジタル書籍製造・印刷工場、フル稼働の25年3月期にEBITDA25億円効果見込む」LOGI-BIZ online)。

 住宅や畑、企業の社屋が混在し、高い建物はほぼない東所沢の風景にあって、ところざわサクラタウンの一画は、特異な存在感を放って空を遮っていた。

 角川武蔵野ミュージアムは、オフィス(約1000人がワンフロアで働けるという広大な!)やアニメホテル、飲食店の入った複合ビルを通り抜けた先にある。視界に入ったそれは、巨石だった。写真に収めることが難しいほどの大きさだ。

=撮影・筆者角川武蔵野ミュージアムの概観=撮影・筆者

 ミュージアムの向かいには、武蔵野坐令和神社(むさしのにますうるわしきやまとのみやしろ)という神社も創建されていた。巨石と神社。信仰の空間のようでありながら、歴史をともなわないそれは、どこかキッチュさが否めない。だが、ミュージアムに入ってみて、そんなふうに評されるのはお見通しで、いかがわしさをあえて打ち出しているのがこの施設なのかもしれないという思いが強まった。

 ミュージアムは5階のフロアからなる。1階はマンガ・ラノベ図書館と、特設展を開催するグランドギャラリー。2階はショップやカフェ、3階はアニメミュージアム。4階には「エディットタウン」「荒俣ワンダー秘宝館」「本棚劇場」、5階には「武蔵野回廊」「武蔵野ギャラリー」という構成だ。

 角川武蔵野ミュージアムの施設概要には、こうある。

 「図書館・美術館・博物館が融合した文化複合施設。編集工学者・松岡正剛、博物学者・荒俣宏、建築家・隈研吾、芸術学・美術教育の神野真吾による監修のもと、メインカルチャーからポップカルチャーまで多角的に文化を発信する」

 「ポップカルチャーまで」といま掲げるからには、「クール・ジャパン」が意識されているのだろう。ミュージアムも、マンガやアニメに力点が置かれている。しかし、実際、過去にさかのぼってみれば、角川書店が、雑誌、書籍、映画など、大衆文化を牽引してきたことは、わたし自身の個人的な記憶からも容易にたぐれる。

 チケットにはパスポートもあるが、種別によっては入れるエリアが異なる。わたしが買ったチケットは、1階のグランドギャラリーと、4階・5階が見られるスタンダードチケットだった。

祭りのようなエディットタウンと、子どもが日々出会う本棚と

 グランドギャラリーで開催されている、企画展の第1弾は、「荒俣宏の妖怪伏魔殿2020」。ミュージアムの監修者の一人である荒俣宏さんが監修した、妖怪展だ。外観の威容に、いくらか心もとなさを覚えつつ入館したが、展示の楽しさと誠実さ、なにより手づくりの温かさに、ほっとした。

企画展「荒俣宏の妖怪伏魔殿2020」入り口企画展「荒俣宏の妖怪伏魔殿2020」の入り口=撮影・筆者

 妖怪にまつわる珍奇な絵やものが並び、目を歓ばせる。それでいて、キャプションは丁寧で、随所に手書きのコメントも付されている。この展覧会だけで主要な妖怪の基礎知識をかなり得ることができるだろう。

 展示室内には、作家が手がけた妖怪にまつわる手工芸品などを売る臨時の売店、「妖怪伏魔店」もある。品ぞろえに惹かれて眺めていたら、「これだけのものが集められるのも、荒俣さんだからですよ」と声をかけられた。器は器としてたいせつだけれど、器に何が盛られるかは、やはり盛る人次第だ。

 その後、角川武蔵野ミュージアムの開館の紹介で必ず取り上げられる、4階のエディットタウンに。館長の松岡正剛さんをはじめとして50人ほどの選書メンバーが選んだ2万5000冊の本が、9つのカテゴリーに分類され、林立する本棚に並べられている。

角川武蔵野ミュージアム5階「エディットタウン」の入り口4階「エディットタウン」の入り口=撮影・筆者

 「楽しむ想像力、考える連想力、感じる空想力をいろいろ『まぜまぜ』することこそが、このミュージアムが提供したいものなのです」と館長挨拶にあるように、猥雑であることを魅力とする空間だ。入場者数は抑制されているが、あちこちに立って、座って、本に読みふけっている人がいて、にぎわっていた。一緒に行った小学生の子も、「もう少し待って」と、とどまって読みたがる。

 そんな子どもの姿を見ながら思ったのは、このエディットタウンと名づけられた、いまいる空間の本棚ではない、子どもが日々出会う本棚のことだった。

 エディットタウンに並ぶ本は、エッジをきかせた選書で、こんな本があるのかという発見もあれば、このテーマであればあの本も置いてほしいなという思いも湧く、刺激の強度が強い、ハレの日の祭りのような本棚だ。

 祭りは祭りとして、ひとには必要だろう。それとともに、子どもたちが、アーカイブ性のある図書館や、網羅性やバランスが意識された書店の棚に触れ、夢中になれる本を見つけられる日常があってこそ、本は未来へとつながっていく。だが、それは、ますます困難になっている。本棚の持つ力と、失われていく本棚が、思い起こされた。

「本棚劇場」のプロジェクションマッピング「本棚劇場」のプロジェクションマッピング=撮影・筆者
 エディットタウンの突きあたりには、「本棚劇場」が待ち構えている。KADOKAWAの刊行物と、KADOKAWAが保持してきた、角川源義、山本健吉、竹内理三、外間守善などの蔵書、合計約5万冊が、高さ約8メートルの巨大本棚に並ぶ。角川書店の学芸の伝統が凝縮された空間だが、双眼鏡持参でもないと、しっかり見ることはできなさそうだ。

 その棚に、プロジェクションマッピングが投影される。紅白でYOASOBIがパフォーマンスしたのも、この「本棚劇場」だ。わたしが訪ねたときには、森村誠一と角川映画の歴史をダイジェストで紹介する映像が上映されていた。

ミュージアム名に「武蔵野」が掲げられている理由

4階から5階への階段「アティックステップ」には荒俣宏選書の棚が4階から5階への階段「アティックステップ」には荒俣宏選書の棚が=撮影・筆者

編集を担当した本に荒俣さんの手書きPOPがあり、びっくり編集を担当した本に荒俣さんの手書きPOPがあり、びっくり=撮影・筆者
 本棚劇場から「アティックスステップ」と称される荒俣宏さんの蔵書が配架された階段を上がっていくと、最上階の5階に「武蔵野回廊」と「武蔵野ギャラリー」がある。

 英語の館名こそ「Kadokawa Culture Museum」だが、日本語では「角川武蔵野ミュージアム」と、あえて「武蔵野」が掲げられている理由が、このフロアで解き明かされている。

 民俗学者の赤坂憲雄さんを中心としたチームが選書した「武蔵野回廊」は、雑木林をイメージした本棚に、「雑木林」「郊外」「川」「ハケ」「旅」「新田開発」「移民」という7つのテーマの本が並ぶ。なかでも、現在に突き刺さるキーワードは、「移民」だろう。

「武蔵野回廊」の「移民」のコーナー「武蔵野回廊」の「移民」コーナー=撮影・筆者

 近世の新田開発の際には、関東の山際から多くの人びとが武蔵野の平野部に移住してきた。近代になり田園地帯に工場や療養所などが作られ、住宅開発が進み、いまや都心のベッドタウンとして、武蔵野は膨大な人口が暮らすエリアとなっているが、その多くが何代も前から住んでいるわけではない。古代にあっても、現代にあっても、武蔵野の地には海外からやってきた人びとも暮らす。武蔵野に暮らすほとんど人は、移民か移民の子孫なのだ。

 「武蔵野回廊」には、布を使いつくしてつくられた所沢の開拓農家のノラジバンとコシッキリや、人造湖である山口貯水池(狭山湖)に沈んだ村で生産されていた絣(かすり)糸も展示されていた。それらは、この地にいた人びとの歴史をものがたる品々だが、同時に、地域を問わず、角川書店の本や映画を楽しんできた自分のような大衆の、ほんの少し前の暮らしを表す品々でもある。

ノラジバンとコシッキリ「武蔵野回廊」に展示されていたノラジバンとコシッキリ=撮影・筆者

 「武蔵野ギャラリー」では、企画展「武蔵野を愛した柳田国男と角川源義」が開催されている。角川書店創業者の角川源義(1917~1975)は國學院大学の予科で折口信夫や柳田国男に学んだ国文学者でもあり、俳人でもあった。今回の企画展では、角川書店の『俳句』1955年9月号に掲載された、柳田国男・加藤楸邨・山本健吉・角川源義による座談会「武蔵野を語る」が大きく紹介されている。

 この座談会は、源義の西荻窪の新居で開催された。そのなかで源義は「私は『武蔵野』という写真文庫を企画しまして」とも語っており、今回の展覧会に際して、源義が撮影した武蔵野の風景写真も発見され、展示されている。源義の武蔵野への思いは深い(『武蔵野樹林』2020年秋号の特集に詳しい)。

 そして、KADOKAWAの新たな拠点となる所沢は、武蔵野の西に位置し、かつての武蔵野の面影を残す土地でもあるのだ。武蔵野である所沢の豊かな自然は、宮崎駿監督の『となりのトトロ』も生んだ

 神保町に出版社が集まっていることからも明らかなように、かつて出版業は地の利が重要な業態であったが、都心であることを必然としない出版業に先駆的に進んでいたのが、KADOKAWAだった。それが、奇しくも昨年、KADOKAWAのみならず、多くの企業で、社員が都心や社屋から離れて仕事をする方法を探らなければならなくなったわけだが。

 それでもやはり、企業は、とりわけ製造業は、土地と緊密に結びつく。その土地で働き、その土地に暮らす人びとに大きな影響を及ぼす。今回、KADOKAWAという巨大企業の進出によって、所沢には新たな人の動きが生まれ、「移民」も生じ、それぞれの人の人生に変化が生じるだろう。

 KADOKAWAが企業のアイデンティティを土地と歴史から自覚的に見出そうとし、創業の精神に連なるよりどころとして「武蔵野」を掲げたことは、公器としての出版社の矜持にちがいない。

 松岡正剛館長の挨拶は、このように締めくくられている。

 「角川武蔵野ミュージアムは地域市民と世界市民のために、東所沢の一隅を発信基地にして『見えない力』を少しでも見えるものにしていきたい」

 KADOKAWAの東所沢での社史は、はじまったばかりだ。