トーキョー落語かいわい【6】コロナ禍にも屈せず、落語を楽しむ空間を
2021年01月16日
下町の情緒にひかれ、多くの人がそぞろ歩くまち、東京・谷中。その商店街の入り口に、ふたりの仲良し落語家が2019年春から運営している小さな演芸場「にっぽり館」があります。
昨年からのコロナ禍で、落語の世界も大きな影響を受けました。そんななか、感染対策を尽くして、月8回の通常公演を続けてきたにっぽり館。お客が数人の日もありましたが、「来て楽しかった」という言葉に励まされながら、踏ん張ってきました。
「密」を避けるため、定員を21人まで減らし、しかも入場者数の平均人数は減っているといいますが、これからも続けていく決意です。年明けの再度の緊急事態宣言を受けて、夜の公演時間は短縮するなど、コロナには「柔軟に」対応していくと話しています。
(今回の緊急事態宣言への対応以外は宣言より前に取材しました)
ふたりの落語家とは、いずれも真打ちの林家たけ平と三遊亭萬橘(まんきつ)。同館を常設の演芸場として運営しながら、公演に毎回レギュラー出演しています。
にっぽり館のHPにあるプロフィールによると、たけ平(43)は2001年、林家こぶ平(現・正蔵)に、萬橘(41)は03年に三遊亭円橘(えんきつ)に入門しました。たけ平は落語協会、萬橘は円楽一門会と所属する団体は違いますが、垣根はまったく感じません。
東京のJR日暮里駅西口から歩いて数分のにっぽり館は、下町の散歩コースとしてよく取り上げられる谷中銀座商店街の一角、「夕やけだんだん」と呼ばれる名物階段を下りたところにあります。2020年春の最初の緊急事態宣言の際はいったん休館し、6月に再開しました。公演がある時は外にのぼりが立っています。
2021年の初日は1月4日。「初笑い」を求めて足を運びました。
木戸をくぐり、客席に入って目につくのは、高座の前に天井から下がった透明シート。高座からの飛沫(ひまつ)を防ぐ仕切りとして設けられています。高座の正月飾りが、新年気分を盛り上げます。
落語を語る前、たけ平と萬橘が高座の左右に分かれて座り、恒例の「おしゃべり」が始まりました。息の合った漫才のようです。この日は、萬橘が猿回しの猿という想定で、たけ平の質問に太鼓をたたいて「イエス」「ノー」を答える趣向です。
ボケの萬橘、突っ込みのたけ平。ふたりのキャラに応じて?、すっかり役割分担ができています。このおしゃべりで、客席が笑いの空気に包まれます。温まる、というやつでしょうか。
お待ちかねの落語は、萬橘がまず百人一首に題材を取った「千早振る」の一席。萬橘独自の様々なくすぐりがこの日も炸裂し、笑い声がはじけます。
トリのたけ平は、いつもの張りのある声で「井戸の茶碗」を熱演。くず屋から買った仏像から50両が出てきて……というお話に、客席は聴き入りました。
トリは公演ごとに交代で、芸風の違うふたりが古典落語をたっぷり聞かせてくれます。直球を投げ込んでくる熱投型のたけ平、軽やかに変化球を織り込んでくる萬橘――。ふたりの芸風を表現すると、そんな感じでしょうか。「チームワークを、全体を楽しんでもらっているように思います」と萬橘。なるほど、持ち味の違いが、絶妙なコンビネーションになっています。
コロナ禍のもと、在宅勤務や巣ごもりで、息の詰まるような日常が続くなか、なまの落語に接して息抜きのひとときを過ごしたい。オンラインでの落語も悪くないけど、リアルな会場でライブ感を味わうと、なおうれしい。
そんなファンにとって、存分に落語を堪能できるにっぽり館は、心が和らぐ場所になっていたと思います。
笑うだけじゃありません。
昨年最後の公演、たけ平の「竹の水仙」で客席がわいた後、萬橘の人情噺「文七元結(ぶんしちもっとい)」を聞いて、家族を思う心の表現に、筆者は思わず涙が出そうになりました。
にっぽり館の魅力は、ふたりの仲の良さが醸し出す居心地の良さ。まさに、仲良きことは美しき、いや楽しきかな、だと感じます。また、こんな時だからこそ伝統芸能を、ひいきの落語家を少しでも応援したい。そんなお客さんもいることでしょう。
とはいえ、コロナ感染がこうも拡大し、ましてや2度目の緊急事態宣言まで出てしまうと、出歩くことを躊躇(ちゅうちょ)する人は少なくないでしょう。落語をなまで聞く楽しさと、感染の怖さが拮抗(きっこう)します。
筆者もそうです。自分が感染するだけでなく、周囲の人にうつしてしまうかもしれないことも心配。思えば、昨年からずっとそうでした。寄席や演芸場に行く回数は以前と比べると明らかに減り、たまに行っても、どこか緊張しながら高座を見ている。座る席も、まずディスタンスを考えて……。
マスクをしっかりして、息をひそめながら、昨年末、今年初めと足を運んだにっぽり館でも、開演前の客席はひっそりとしていました。周囲への気遣いでしょうか、話し声があまりしない。
萬橘に聞くと、「楽屋にいても、お客様がいるのかいないのか、わからなくなった。お客様がしゃべらないので、1人のときも15人のときも音が変わらないんですよ」と言います。開演して初めて「こんなにいてくれたんだ」とわかることもあったとか。
寂しくもあるけれど、感染防止がなにより大事な今、仕方がありません。にっぽり館でも、当然ながら、感染対策がしっかりとられています。
まずは、先ほど触れた飛沫(ひまつ)防止シート。座った落語家は、まるでついたてのような透明シート越しに、落語を披露します。昨年夏に登場し、最初は単にビニールシートをつり下げていただけでしたが、支えのポールをつけて透明な樹脂のシートに交換するなど、「進化」もしています。ホームセンターで材料を調達し、手作業でセットしたそうです。
ちなみに、高座の前のこうした透明の仕切りは、神田連雀亭(東京)などでも見られる工夫です。
こじんまりとした会場だけに、飛沫防止シートが安心感を生んでいますが、演じているたけ平、萬橘に聞くと、やはり勝手が違ったといいます。だいぶ慣れてはきたそうですが、シートで声がはね返ってくるし、夢中で演じていると手が当たることもあるとか。たけ平は大ネタの「鰍沢」の途中で手をぶつけ、「タポン」と音がしたそうです。
シートの高座側は、夏は熱が出ていかず、冬は暖房の熱が入ってこないとも。夏場はきっと熱演以上に大汗をかいたことでしょう。冬になったら「手がかじかむ感覚がある」(萬橘)そうです。ほんとうに大変です。
客席もソーシャルディスタンスをしっかりとっています。新型コロナウイルスの感染拡大「第1波」に見舞われたのは、にっぽり館が開館して1年がたった昨年春。4月に予定していた1周年記念公演は休館中で中止され、6月に再開以降、定員30人のこじんまりとした客席を、さらに間引いて入場者数を制限しました。客席の丸いすや長いすの上に赤いテープを「×」の形に貼り付け、使用禁止にして間隔をあけ、最前列はすべて着席禁止に。入場者数を15人まで制限したときもありました(今は21人)。
客席の換気扇もフル稼働です。公演の日だけでなく、閉じている日もずっと回し続けていると言います。「お客様ももちろん、我々も感染すると困りますから」とたけ平。
入場の際は手をアルコール消毒。どの寄席や演芸場もそうですが、客席でマスクは必須。笑い声もマスク越し。静かに笑うのはなかなか難しいですが、筆者も声を気持ち抑えるようにしています。
以前は他の落語家がゲスト出演することがしばしばありましたが、楽屋もできるだけ密を避けたほうがいいと、たけ平と萬橘がほぼ2人で続けています。コロナが収束したらまたゲストの落語家を、いずれは漫才や奇術など色ものの芸人も呼びたい、ということです。
先に述べたように芸風の違うふたりですが、にっぽり館をつくった思いはひとつです。
萬橘は「落語家がみんなでひとつの空間を演出する、それを生業(なりわい)にできるような」会場が欲しいと思っていたと言います。高座に上がる落語家たちが客席の反応をみながら「自分は何をすることが今日の、今のお客様にとっていいのか」考えて、連携して高座に上がり、お客さんに満足していただく、そんな場所にしたいと話します。
たけ平も「自分たちの思っているその『核』は、どこか会場を借りてやるというんじゃできないです」と言います。
にっぽり館の通常公演は1時間半から2時間。そのほか30分間で料金も安い短縮版が昨年9月から始まりました。
新たな30分の公演は、落語を聞くのが初めてという人のために企画。月に一度程度ですが、谷中を散策する人にふらっと入ってきてほしいとふたりは口をそろえます。「そういう人の楽しい思い出になってくれたら」。30分という公演でも「よそで開くとなったら、会場費払って割に合わなく」なりますが、すぐに実施できるのは自前の演芸場ならではです。
にっぽり館はもとは閉店した寿司店。ふたりで投資し、改装して常設の演芸場にしました。賃貸で借りて運営しています。最近は団体の枠にこだわらない出演者の落語会も多いですが、それにしてもふたりで演芸場の運営まで手がけるとは驚きです。
なぜ、そこまでするのですか? ふたりに理由などを聞きました。
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