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サラリーマンソングは「昭和」をあぶりだす? その2

【33】ハナ肇とクレージーキャッツ「スーダラ節」ほか

前田和男 翻訳家・ノンフィクション作家

 クレージーキャッツの「サラソン」シリーズの大ヒットの要因は、作詞の青島幸男が、国民大衆の「古き良き時代のサラリーマン」に対する妬みの感情に火をつけたからだけではなかった。そこには、新しい時代の到来気運も助太刀をしていたのである。

サラリーマンソングは「昭和」をあぶりだす? その1

高度成長という時代の気運も助太刀

1962年のクレージーキャッツ。右から安田伸、桜井センリ、植木等、ハナ肇、谷啓、犬塚弘、石橋エータロー

 おりしも池田勇人の所得倍増計画をうけた高度成長が上り坂に差し掛かかろうとしており、日本経済のパイがふくらんで5%以外の「しがない勤め人たち」にもそのおこぼれ(トリクルダウン)がもたらされつつあった。

 クレージーキャッツの「サラソン」シリーズは、「俺たちは汗水たらして働いている、その上に胡坐をかいているあいつらは無責任でお気楽なものだ」と、5%のエリートである「旧サラリーマン」を揶揄して多数の国民の溜飲をさげさせる一方で、「自分たちもなれるものならなってみたい」という彼らの内なる願望を引っぱりだした。そして、高度成長という時代の気運はそれを叶えてくれそうに思わせ、結果として叶えてもくれたのである。

 実際、小中学校時代の私には、わが「旧サラリーマン」家庭に周囲がどんどん追いついてくるという実感があった。左右であわせて20軒ほどある路地で、わが家は地主の家についで電話もテレビも2番目に入り、しばしば近隣のための電話の呼び出しの取次ぎや、近隣のテレビ上映会場となったが、やがてほとんどの家に電話とテレビはもちろん洗濯機や電気冷蔵庫が常備され、ついにはわが家を追い抜いてマイカーを購入する一家まであらわれた。その多くは親の稼業をつがずに新しくサラリーマンになった家庭で、あれよあれよという間に「旧サラリーマン」は追いつかれ、ときには抜かれていった。

 「新サラリーマン」の登場と台頭がいよいよはじまったのである。クレージーキャッツの「サラソン」シリーズはそれをはやし立てる陽気きわまりないBGMでもあった。

 おもえば、戦後高度成長を境に、父親が属していた大正デモクラシー時代以来の少数精鋭の「ネアンデルタール・サラリーマン」が滅亡を迎え、一人一人の能力は劣るがゆえに群で成果をあげる「ホモサピエンス・サラリーマン」が新たに生まれつつあった。クーレジーキャッツの「サラソン」シリーズは、前者にとっては「挽歌」であり、後者にとっては「援歌」であったのである。

歌:ハナ肇とクレージーキャッツ「スーダラ節」「ドント節」「ハイそれまでョ」「無責任一代男」「ホンダラ行進曲」
 いずれも作詞・青島幸男/作曲・荻原哲晶、
時:1961(昭和36)年〜1963(昭和38)年
場所:東京・丸の内

稀代の〝毒消し男〟 植木等

 さて、ここまでは、われながら上首尾の立論だと自負していた。ところが、読者諸賢に指摘される前に白状するが、実は大いなる欠陥と矛盾があることに気づかされた。

 たしかにクレージーキャッツの「サラソン」シリーズは、高度成長という時代の気運をうけて、「旧サラリーマン」に対する「妬み」と「憧れ」に掛け算が成立し、大ヒットとなったのはその通りだろうが、しかしそれに乗った国民には、いささか後ろめたい躊躇いと戸惑いがあったのでは

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