感染防止よりもルール遵守が目的と化した政治家たち
2021年01月14日
新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず、特別措置法の改正に向けた協議が始まっています。
政府・与党は、「強制力を付与することによって、より実効的な対策を可能にしたい」(菅首相)と、罰則導入に積極的な姿勢を示しており、事業者が都道府県知事の「命令」に従わない場合は、過料を科す政府原案が提示されました。また、都道府県知事による入院の勧告や、自宅もしくは宿泊施設での療養の要請に応じない感染者に対しても、罰則を設ける方針を固めたようです。
この動きに対して、野党をはじめ、様々なところから、「強制手段を取るには十分な補償が前提だ」(立憲民主党・泉健太政調会長)等、否定的な声が上がっています。
確かにその通りだと思いますが、強制力を持たせてはならない大きな理由がもう一つあります。それは、政府や自治体に、「規制を上手く使いこなす能力」が大きく欠如しているからです。病気に対して間違った薬を投与しても効果が得られないように、課題に対して正しく作用する規制を敷かなければ、政策的効果は得られません。それどころか、“副作用”のほうが大きくなることもあります。
療養している自宅や宿泊施設を抜け出す感染者に対する罰則は、まさにこの“副作用”が大きい政策でしょう。軽症者や無症状の人が外出する事例が後を絶たないために、罰則という強制力が必要だと政府は考えているようですが、どうして彼らは抜け出すのでしょうか? それは本当にエゴイスティックな行為なのでしょうか?
きっと所得や貯金が少なく、「今を生きていくために、療養の要請になんて応じていられない」という人もいるでしょう。育児や介護等、誰かのケアをしなければならない立場のために、抜け出さなければならない人もいるはずです。売り上げ規模を完全に無視し、協力金を店舗単位で一律に配っている政治家たちに、そういう社会的弱者に対する複雑な免除制度を公正に設計できるとは思えません。
また、もし罰則が制度化されたら、感染疑いのある人や無症状者はPCR検査を積極的に受けようとするでしょうか? きっと、「罰則を受けたらひとたまりもないから、症状は軽い(orない)し、検査は控えておこう」と考える人は少なくないはずです。検査で少しでも多くの無症状者をつかまえることが肝だと言われている新型コロナ対策においては、検査を手控える人たちが続出するのは致命的問題のように思います。
現在、療養施設を抜け出している患者の中にも、「自分は陽性者だから……」という罪悪感から、抜け出し行為を必要最小限に抑えている人もいることでしょう。でも、検査をしなければ、「罪悪感」すら生まれなくなるので、外出の機会が増える可能性も十分に考えられます。
要するに、単に抜け出し行為に罰則を設けることは、感染疑いの人や無症状者に検査を控えるように誘導し、彼らが感染を広めることを後押しするかのような政策になるのではないでしょうか? 「仮定の話」をしたがらない政権では、それくらいの“副作用”も想定できないのでしょうか?
間違った“薬の投与”に思えるのは、飲食店に対する罰則も同様です。
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