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葬式仏教は、仏教を堕落させた「犯人」なのか?

[5]日本人は死者を想い、死者とともに生活してきた

薄井秀夫 (株)寺院デザイン代表取締役

葬式仏教犯人説の検証

 「葬式仏教」という言葉を知っているだろうか?

 活動の中心が死者の弔いとなっている、日本特有の仏教のことをいう。

 そしてこの葬式仏教という言葉には、仏教のことを揶揄するニュアンスが含まれている。「葬式ばかりやっていて、教えを説かない仏教」「葬式で金儲けばかりしている仏教」というニュアンスである。

/Shutterstock.com拡大akiyoko/Shutterstock.com

 現代の仏教に対して、不満を持つ人は多い。これまでこの論座でも取り上げてきたが、特にお布施、戒名、檀家制度については、社会との間に大きなズレを生じており、常に批判の対象となっている。そしてこのほとんどが、葬式仏教に関わることがらでもある。

 そこから言われるのは、「日本の仏教は、葬式仏教になって堕落した」ということだ。

 例えば、評論家のひろさちや氏は、次のように語っている。

 「仏教の習俗化の最たるものは葬式仏教である。すでに何度も繰り返したが、葬式なんてものは習俗である。この世の慣習だ。仏教が葬式をやるからといって、仏教が盛んになったわけではない。むしろ仏教の堕落だ」(『仏教の歴史10 来世と現世の願い――室町から江戸へ』)

 手厳しい批判である。

 しかしその一方で、仏教で葬式を行うのを望む人も少なくない。

 日本国内では、葬式の87パーセントが仏式で行われている(第11回「葬儀についてのアンケート調査」日本消費者協会/2017年)。

 この中には、菩提寺、すなわち檀家として所属しているお寺を持たない人も多い。特に都市部では半数以上が菩提寺を持たないと言われている。檀家は、菩提寺に葬式を依頼する義務があるので、いやでもお寺に葬式を依頼しなければならないが、菩提寺の無い人はお寺に頼まなければならないしがらみは何も無い。それにもかかわらず、わざわざ葬儀社からお寺を紹介してもらって、仏式で葬式を行う人が多い。

 「そういうものだから」と惰性でお寺に依頼する人もいるだろうが、お経を読んでもらうためには、それなりのお金が必要だ。にもかかわらず僧侶にお願いするのは、やはりお経を読んでもらって、家族を無事あの世に送りたいという気持ちが強いのだ。

 もし日本中のお寺が、「葬式仏教はやめる」と言い出して葬式を行わなくなったら、困るのは我々である。

 ところが、もし日本中のお寺が教えを説かなくなっても、困る人はあまりいないし、さほど大きな批判をあびることはないだろう。もちろん仏教が教えを説くことは大切なことであるが、そこに期待をしている日本人は少ない。

 つまり日本人が仏教に期待しているのは、何よりも弔いであるということだ。見方によっては、葬式仏教は、日本で最も求められている宗教だとも言える。

 それでも葬式仏教が仏教を堕落させた犯人だと考える人は多い。なぜ、そう考えられているのだろうか。

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筆者

薄井秀夫

薄井秀夫(うすい・ひでお) (株)寺院デザイン代表取締役

1966年生まれ。東北大学文学部卒業(宗教学専攻)。中外日報社、鎌倉新書を経て、2007年、寺の運営コンサルティング会社「寺院デザイン」を設立。著書に『葬祭業界で働く』(共著、ぺりかん社)、 『10年後のお寺をデザインする――寺院仏教のススメ』(鎌倉新書)、『人の集まるお寺のつくり方――檀家の帰属意識をどう高めるか、新しい人々をどう惹きつけるか』(鎌倉新書)など。noteにてマガジン「葬式仏教の研究」を連載中。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです