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葬式仏教は、仏教を堕落させた「犯人」なのか?

[5]日本人は死者を想い、死者とともに生活してきた

薄井秀夫 (株)寺院デザイン代表取締役

葬式仏教と仏教の制度疲労

京都・智積院 拡大京都・智積院(本文とは関係ありません)

 まず葬式仏教の問題点をあげると、前述のお布施、戒名、檀家制度などを挙げることができる。

 お布施の問題は、僧侶が金額を言ってくれない、高額のお布施を強制されたといったものだ。戒名については、お布施の金額で戒名のランクが変わるといったもの、檀家制度については、お寺との関係性が不平等である、一方的で強制的なものが多い、檀家を簡単には辞めることが出来ないといったことだ。

 確かに、葬式仏教に関わることばかりである。葬式仏教犯人説は、これらの問題がもとになっている。

 しかしよく考えてみると、仏教が葬式をやっていること自体が問題なわけではない。あくまでも仏教と社会が関わる仕組み、つまり社会制度の問題と言ってもいい。

 例えばお布施というのは、お寺や僧侶に対して、人々がどうやってお金を出すかという仕組みである。もともとお布施は、地域社会の中で、地域社会の人同士で金額を決めてお寺に納めていた。僧侶は「お布施はお気持ちでけっこうです」と言うが、現実は、地域のバランスや個々の家の事情、お寺への配慮などを総合して、地域がお布施の金額を決めていたのである。

 そして戦後何十年かの間に地域社会が変質する中で、こうした「地域知」が働かなくなってきた。そんな状況で「お布施はお気持ちでけっこうです」と言われても、途方に暮れてしまう。以前はスムースだったお布施の仕組みがうまくいかなくなっているのは、ここに理由があるのだ。

 これは、戒名や檀家制度も同様である。仕組みがうまく機能していた時代もあったが、現代では社会とのズレが広がり、様々なストレスを生むようになっている。

 それぞれの時代にあわせてつくった仕組みであるゆえ、社会が変質すれば、やはり変えていかなくてはならない。それは仏教の責任である。

 ところが、仏教は仕組みを数十年前のまま変えようとしてこなかった。それで

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筆者

薄井秀夫

薄井秀夫(うすい・ひでお) (株)寺院デザイン代表取締役

1966年生まれ。東北大学文学部卒業(宗教学専攻)。中外日報社、鎌倉新書を経て、2007年、寺の運営コンサルティング会社「寺院デザイン」を設立。著書に『葬祭業界で働く』(共著、ぺりかん社)、 『10年後のお寺をデザインする――寺院仏教のススメ』(鎌倉新書)、『人の集まるお寺のつくり方――檀家の帰属意識をどう高めるか、新しい人々をどう惹きつけるか』(鎌倉新書)など。noteにてマガジン「葬式仏教の研究」を連載中。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです