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『鬼滅の刃』は〈鬼〉的な存在で、丸山健二は儚く脆い〈人間〉の側にいる

大槻慎二 編集者、田畑書店社主

物体としての言葉と、肉体としての丸山健二

1969年12月14日 
被写体所在地 長野県長野市の郊外で 拡大丸山健二=1969年12月、長野県長野市の郊外で

 一方、読者に媚びもしなければ、誰に忖度するでもない丸山健二がTwitterで繰り広げる《反措定(アンチテーゼ)》は、こと政治の現状にとどまらず、そのもっと向こうにある〈人間の自由〉の問題に深く触れている。

 1966年に23歳で芥川賞を受賞して以来55年、喜寿を迎えたこの作家は、売り上げ至上主義に支配される出版業界、文学賞の運営を基準に組織される文壇というギルドに徹底して背を向け、ひとり安曇野にあって小説を書き続けてきた。

 これもまた別な意味で、筆者にとっては《反措定》である。何しろこちらもおよそ四半世紀にわたって、丸山さんにとっては唾棄すべき“文壇”の周辺をうろついてきた身である。ゆえに丸山さんが文壇を舌鋒鋭く批判する言葉に、素直に頷くことができるかといえば、正直微妙な場合もある。

 たとえば丸山さんが弱冠30歳、「雨のドラゴン」という作品で谷崎潤一郎賞の候補になったとき、辞退しようとしたら、「このあたりで賞をもらっておいた方が身のためですよ」と進言した編集者がいて、「こいつは正気でそんなことを言っているのか」とまじまじと相手の顔を見たという。もし自身が同じシチュエーションにあったら、と考えたならば、決して口にはしない台詞だろうと考える半面、そう言ってしまう編集者の頭の中も理解できる。

 だがそれ以上に、そんな人事のみみっちいことよりも、丸山さんが主催する〈オンライン文学サロン〉でたびたび口にする「人間はまだ文学の鉱脈をほんのわずかしか掘っておらず、この世にはまだ書かれたことのない小説がごまんとある」という極めてポジティブな言葉に激しく同意する者でもある。

 では、そんな丸山さんが頑ななまでに貫いた、どこにも凭(もた)れることなく、純粋に言語芸術家として生きる姿勢。毎朝4:00に起床し、それからきっちり2時間を執筆にあて、後の時間のほとんどを庭づくりにあてるという日常。これを365日、何年も何年も、どこに出かけることもなく繰り返す。……その生活がいったい何を生み出してきたのか。

 それはたとえば『ラウンド・ミッドナイト 風の言葉』を読めばわかる。

丸山さんの新刊『ラウンド・ミッドナイト 風の言葉』(田畑書店)拡大丸山健二『ラウンド・ミッドナイト 風の言葉』(田畑書店)=筆者提供
 これは、いままでに書かれた丸山さんの文章を切り取って見開き単位に置き、それらを組み合わせて一冊を構成したものだが、その言葉たちが持つ物体としての固有の輝き、言葉の連なりが読み手の頭脳に喚起させるイメージとイメージのせめぎ合いが、ストーリーによってではなく、都度都度の感興を読者にもたらす。エッセイでもなければ小説でもない。詩でもなければアフォリズム(箴言)でもない独特の言語空間を生み出していて、まさに言葉によってでなければ到達できない境地だと思う。

 そしてその「物体としての言葉」を裏付けているのは、肉体としての丸山健二としか言いようがない。切れば血が出るし、不用意に置けば自らを深く傷つけもする。そういう意味で「身体性をもった言葉」なのである。つまりそれは「虚構」ではあっても、「身体」を伴わなければたちまちに消え去ってしまう「現実」なのだ。

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筆者

大槻慎二

大槻慎二(おおつき・しんじ) 編集者、田畑書店社主

1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、田畑書店社主。大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです