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『鬼滅の刃』は〈鬼〉的な存在で、丸山健二は儚く脆い〈人間〉の側にいる

大槻慎二 編集者、田畑書店社主

娯楽メディアを禁じられた高村友也の問いかけ

EvdokiMarishutterstock拡大EvdokiMari/Shutterstock.com

 丸山さんに感じる「自由」であることへのヒリヒリした渇望、そのために費やされる膨大なエネルギーと同質なものを、最近、ある本に出会って感じた。それは高村友也という人の『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか——生と死と哲学を巡って』(同文舘出版)である。

 著者は1982年生まれ。5年ほど前に30半ばで書かれた本である。ごく普通の家庭に育った著者は、幼いころに「自分が死ぬということ」のイメージに取り憑かれてしまう。そしてまた、「自分」という存在が「ホンモノ」か「ニセモノ」かが気になって仕方がない。しぜん志向は哲学にいき、東大哲学科を出たあと慶応の哲学科大学院で博士号を取得するも、研究者の道を放棄して退学してしまう。

 そして、圧倒的な孤独と無限の自由を渇望するあまりに、アパートを出て路上で暮らすようになり、結果たどり着いた結論が、どこでもいい、狭い土地を購入してそこに自分ひとりが住まえるだけの、小さな小屋を建てることだった。そして実際に著者は山梨の雑木林の中にわずかな土地を購入して、自分で小屋を建てる。この本は、生まれてからそこに至るまでの自己の精神遍歴を記した自伝である。

 瑣末なことだが、この本でまず注目したのは、子どものころの逸話である。著者の育った家庭は経済的にも豊かで、束縛のない自由な家庭だったが、ただひとつ、両親は娯楽メディアにだけは不寛容だった。テレビは1日30分まで。ゲームの類は一切買ってもらえなかった。しかし興味を抑えられない著者は、テレビやビデオの音声だけをカセットテープに録音して、寝る前に布団の中でウォークマンを握りしめて聞くのを楽しみとした。そしてその内でも最もお気に入りなのは『天空の城ラピュタ』だった……。

 人はなぜ生きているのか。生きていることそれのみの理由で、なぜ人は束縛されねばならないか。現実のひとつひとつ、目の前にある物の存在理由のいちいちを確かめざるを得ないという根源的な問いかけに耐えうる頭脳は、幼いころの娯楽メディアからの遮断なしに、果たして生まれただろうか。

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筆者

大槻慎二

大槻慎二(おおつき・しんじ) 編集者、田畑書店社主

1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、田畑書店社主。大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです