「慰安所」経営は「主権行為」だったと認めるか?
2021年01月22日
2021年1月8日、元日本軍慰安婦が反人道的被害に対する損害賠償を求めて提訴した裁判の判決が、ソウル中央地裁で出された。それは、日本政府へ1人あたり1億ウォン(約950万円)の賠償金の支払いを命じるものだった。
だが当事国である日本の外務省は、同日、駐日大使を通じて韓国政府に対して次のように「伝達」した。
「……ソウル中央地方裁判所が、国際法上の主権免除の原則を否定し、原告の訴えを認める判決を出したことは、極めて遺憾であり」云々(強調筆者)。
これまで日本政府は、事あるごとに韓国は「国際法に違反している」と、くりかえしてきた。だが例えば「徴用工」問題では、国際法に違反しているのはむしろ日本政府であると、私は以前に論じた。
今回はどうなのか?
今回は、漠然と「国際法」と言うのではなく、「国際法上の主権免除」と外務省は述べた。それは何を意味するのか。
なお以下、繁雑になるのを避けるため、「慰安婦」「慰安所」は括弧をつけずに記す。
「主権免除」とは一般に聞きなれない言葉である。ここでは、以下に論ずる国家「行為」の区分を考慮し、誤解を避けるために「国家免除」という言葉を使うことにする(いずれも国際法の分野で同義の言葉として使われる)。
さて国家免除(主権免除)とは、「国がその行為……について、外国の裁判所の裁判権に服することから免除される」、という法理を意味する(飛澤知行編著『逐条解説 対外国民事裁判権法――わが国の主権免除法制について』商事法務、2頁)。
例えば米軍が基地周辺で、轟音を発する危険な低空飛行訓練を行っており、周辺住民がこの差し止めを求めて提訴したとしよう。そして裁判所がこれを認めて、訓練の停止ないし変更をアメリカ政府に求めたとしよう。だが訓練が、アメリカが国家として行う行為である以上(軍の行為はそう見なされる)、同政府は当事国裁判所の命令に従わなくてよいとされる。これが国家免除の法理である。
だが、この法理には国の行為の性質(次項)に応じた限定が必要であり、またこの法理自体に制限を加えようとする国際的な流れが生まれている。だから、外務省の「伝達」には少々問題がある。少なくとも一定の条件づけをせずには、「伝達」のように主張することはできない(外務省はそれを知っているであろうが、官邸への忖度の結果、あたかも問題がないかのようにふるまっているのであろう)。
大まかに見て19世紀には、国家の行為はすべて他国の裁判権から免除されると、暗黙裡に見なされてきた。だが、19世紀後半~20世紀にはむしろ全面的な国家免除の弊害を認めて、いかなる種類の行為が他国の裁判権から免除され、あるいは免除されないかが、問題にされるようになった。
19世紀、国家が他国との関係で行うのは、領土交渉、支配・被支配に関わる駆け引き、同盟へ向けた協議等、あくまで政治的なものだったが、資本主義の発達とともに、じょじょに私人もしくは私企業の行為に近い、通商的な行為(*)まで行うようになった。国際法では前者を「主権行為」、後者を「業務管理行為」と呼ぶ。
*現代の例として国際法学者・岩沢雄司氏は、「軍隊の物資購入契約、外交に関する行為(大使館建設のための資材の購入契約など)、災害復興のための食料・物資の購入契約、公的債務」などをあげている(総合研究開発機構編『経済のグローバル化と法』三省堂、65頁)。
ところで、今日国際慣習法として成り立っているとされる「国家免除」とは、主権行為・業務管理行為をあわせた国家の行為全般が、ではなく、前者の主権行為が、他国の裁判権から免除されるという、限定された法理と見なされるのが普通である。
つまり、外務省は国家免除が国際法の確たる原則であるかのように記すが、それはせいぜい主権行為について言えるだけであって(後述のようにこれにも限定が必要である)、現今の国際慣習法では、業務管理行為にはむしろ国家免除は適用されない場合が多いのである。
さて韓国裁判所によって問われたのは、慰安所の設置・運営・管理(以下「慰安所経営」)である。だがそれは日本国の主権行為だったのか、業務管理行為だったのか。またそのいずれであれ、関連して何が問題となりうるか。
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