「自己の保身」「他者の保護」……行為の意味づけの多様化
2021年01月25日
大学入学共通テストが無事に終わった。高等教育に携わる者としては、ほっと胸をなでおろしている。そして毎回この入試に付き物のトラブル事態が今年は「マスク絡みの出来事」だったことは大きく報道されたので、皆の知るところであろう。しかも「マスクを着けるかどうか」ではなく「正しく着けているかどうか(鼻を出しての着用はNGであった)」までが問われることとなったのである。
こんなにマスク着用が世の注目を集めることになろうとは1年前の今頃は予想だにしなかったであろう。「マスク文化」とも称されるこの「マスクを着ける」という行為は一体どういう「意味」をもたらし、それによって私たちはどう動いてきたのか、この1年余りの自身の経験を含めてまとめてみたいと思う。
コロナ禍が起きる前、私個人はマスクというのは、特段風邪などの具合が悪いときでなくても、冬場の乾燥した時期に喉を守るために外出時に着用するというのがここ数年の習慣であった。
しかし、マスク姿で職場に行くと「具合悪いんですか?」「風邪ですか?」などと尋ねられることが多々あったと記憶している。つまり、当時は「マスク着用=風邪気味」というメッセージ、つまり意味が伝わる行為だったのだろう。あらぬ疑いをかけられてはそのたびに「喉が弱いんで……」などと言い訳していたと思う。
改めて日本におけるマスクの歴史を調べてみると、元々は工場での粉塵よけがその始まりだという記事があった(マスクの歴史)。「工場マスク」という名称のそのマスクは外敵(粉塵)から自分の身を守るため、という機能、つまりは意味を負って登場したのだ。
この記事によれば、一般ピープルにマスクが普及したのは、1919年(大正8年)にインフルエンザが流行したことによる、とあるが、これこそが全世界的に大流行したスペイン風邪(H1N1亜型インフルエンザ)である。おそらく、ここで「マスクを着用する行為」は、単に「ウイルス(外敵)から身を守る」という自己の保身に加えて、「他者にウイルスをまき散らさない」という他者保護の意味機能が加わったのだろう。
この二つの機能から先の私のマスク事例を読み解くと、私自身は「自己保身のため(喉を守る)」にマスクを着用していたのだが、他者からは「他者保護のため(風邪をうつさない)」にマスクをしているように見えて、そこに意味の齟齬が生まれたと言えよう。
実はこういう一つの行為について、人によって読み取る意味や機能が違うということはマスク着用以外でも多々起こっており、それが案外トラブルの元になっていたりする。
例えば、電車の中での携帯電話の会話もその当人には問題ではない(だから話している)が、周囲には問題行動と映っていることなどもその一例だ。そしてこの携帯電話の例のように、周囲の人が読み取る意味(問題行動である)の方が時に圧倒的に強くなることがある。
事実、電車内で携帯電話で話すという行為は、最初の頃に比べれば見かけることはかなり少なくなった。そこに至るまでに「車内で注意する」という行為も見られていた。
ここで気づかれた方もいるだろう。マスクをしていないことを注意するという「マスク警察」の出現は、
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