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日本は「慰安婦判決」で国際司法裁判所へ提訴しても敗訴する

公判では、慰安所経営に関する国際社会の事実認定が期待できる

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

国際司法裁判所への提訴はつまずきの石になる

 本年1月8日、韓国の裁判所が元慰安婦の訴えを認めて、日本政府に賠償を命じた。外務省は即座に国家免除(主権免除)――国家は他国の裁判権から免除されるという法理――を持ち出して判決は受け入れられないと主張したが、その姿勢に固執すれば、「慰安婦制度に関与していない、責任はない」という日本政府の立場との矛盾が明らかになるだろう。前回私はそう論じた。

 さらに問われるべきは、日本政府が同判決を遺憾と見なして、国家間の法的紛争の解決を任務とする国際司法裁判所(ICJ)への提訴を検討している、という事実である(朝日新聞1月10日付)。自民党の外交部会も、同様の提訴を提案している(同1月16日付)。

 だが実際に提訴した場合、それは日本政府にとって、つまずきの石となるであろう。

国際司法裁判所の大法廷=オランダ・ハーグ国際司法裁判所の大法廷=オランダ・ハーグ

公判を通じ慰安所の実態が明らかになる

 そもそも日本が提訴しても、韓国にはこれに応じる義務はない。韓国はICJの裁判権を受諾していないからである。

 とはいえ韓国は応訴できるし、被害女性救済のためにむしろ応訴すべきであろう。なるほど、判例となりうるICJの2012年判決(*)からすれば、限定的とはいえ一定の国際慣習法と認められる「国家免除」の法理を持ち出す日本側の主張が、承認される可能性がある。
* ICJは2012年、独軍による虐殺・強制労働(1943-45年)に関してドイツの国家免除を否定したイタリア最高裁の判決について、「同判決はドイツが国際法下で享受する国家免除を尊重せず、国際法上の義務に違反した」というドイツの主張を認めた。

 だが2012年判決も、ドイツ軍が行った行為(ドイツの主権行為)と、それが犯された状況(後述)についての一定の検討を通じて導かれたのであり、したがって日韓間で懸案となっている慰安婦制度の場合も、事実認定を通じた実態解明が期待される。

 正確に言えば、2012年判決では事実認定はほとんどなされなかった。それはドイツ側が軍の行為について何ら争う姿勢を見せず、それどころかその責任を完全に認めていたからである。だが日本政府の場合は事情がまったく違う。

ICJ裁判で日本は敗訴する

 この裁判は日本のつまずきの石になるだけではない。この裁判で日本は敗訴するであろう。

 それは第1に、前稿(「「慰安婦」裁判で日本政府は「主権免除」を韓国に主張できない」)に記したように、日本政府の主張・立場と国家免除の法理との間に大きなソゴがあるからである。日本政府が、かつての行為に国家免除を適用させるために、慰安所経営は国家機関が主導して行った主権行為であると主張しさえすれば立場は逆転するが、日本政府は、断じてそうしないだろう。

ICJ の2012年判決は有利に働かない

 第2に、ICJの2012年判決それ自体、必ずしも日本に有利に働かないからである。それは次の3つの事情に由来する。

(1) 問われる対象が全く異なること

(2) 日本はドイツと異なる対応をしてきたこと

(3) ICJ判決以降でさえ、国際情勢は刻々と変化していること

 以下、この3点について敷衍する。

(1) 問われているのは戦時性暴力・女性に対する暴力である

 慰安婦訴訟で問われたのは、戦時性暴力である。すでに1990年代、旧ユーゴやルワンダでのそれが問題化されたが、2000年代には戦時性暴力は、国連を舞台により一般的に問われるようになった。

 一方、安倍第1次政権が成立し、慰安所経営への軍の関与を認めた「河野談話」(1993年)を覆すような発言がくり返された2007年からは、慰安婦問題への関心が急速に高まり、少なくない国の議会で、日本に明確な事実の承認・謝罪・賠償等を求める決議がなされるようになった。こうした動きが表面化したのは、慰安婦問題が、女性に対する暴力という普遍的な問題への関心を改めて呼び覚ましたからである。

 その後2010年代になると、欧米の各地で「少女像」(平和の碑)を建てる動きが顕著に見られた。これは現在も続く運動である(朝日新聞2020年10月15日付)。また第2次安倍政権が成立した同じ2010年代には、国連の各種委員会において慰安婦問題に関する意見表明・勧告等が、くり返し出されてきた。

ベルリン市内の公園前に置かれた慰安婦を象徴する少女像=2020年10月ドイツ・ベルリン市内の公園前に置かれた慰安婦を象徴する少女像=2020年10月

 大使館・領事館・外務省・内閣官房までが、民間の動きと一体となって、慰安婦制度への国家関与を否定してきた事実(山口智美他『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う』岩波書店、114-6頁)が、各国の市民や国連機関を動かす引き金となったのである。

 前記のようにICJの公判では、問題となった虐殺・強制労働事件についても、そこでの人権侵害の実態についても、事実認定はほとんどなされなかったが、これほどに世界の注目を浴びた慰安婦問題では、同制度に関わる事実認定を行わずに、抽象的・一般的に国家免除を論じてすませることは不可能であろう。

慰安所経営は「武力紛争の遂行過程」とは無縁

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