メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

カナダで「死ぬ権利」の合法化を訴え続けたのは患者さんや家族だった

カナダ・アルバータ大学腫瘍学・緩和ケア医療部門臨床教授・樽見葉子さんに聞く(上)

鈴木理香子 フリーライター

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)をわずらう女性(当時51)からSNSを通じて依頼を受けた医師2人が、女性に薬物を投与して殺害したとされる事件をどう考えたらいいのか。

 海外では医療者が患者に対する自殺幇助を法的に認めている国もある。その一つがカナダで、MAID(Medical Assistance in Dying:幇助死)と呼ばれている。カナダ・アルバータ大学腫瘍学・緩和ケア医療部門臨床教授の樽見葉子さん(緩和ケア医)に登場いただき、カナダの事情や自殺幇助に対する考えを語ってもらった。 

樽見葉子 札幌医科大学卒業後、麻酔科に入局。1999年にカナダ・アルバータ大学にてフェローシップ。終了後はスタッフとして在宅、急性期病院、地域がんセンターにおける早期緩和医療の臨床、研究、教育に従事している。現在、同大学の腫瘍学・緩和ケア医療部門臨床教授。

――2020年10月、ニュージーランドで安楽死の賛否を問う国民投票があり、賛成が65%を超えて容認されました。2021年にも法律が施行されるようです。樽見さんのいるカナダでも現在、医療幇助死を意味するMAIDが認められています。一方で、そういう法律がない日本で安楽死事件が起こりました。この事件はご存知ですか?

樽見 知っています。ただ、カナダでは情報ソースがはっきりしない記事しか読むことができないので、事件についてコメントできる立場ではないです。その方が亡くなったことで悲嘆にくれておられるご家族の気持ちをお察し申し上げます。

樽見葉子さん樽見葉子医師=本人提供
――今のカナダだったら、こういう事件は起こりません。

樽見 たとえば、合法的に死を選ぶことができる国で、進行性の疾患により最終的に死を予想できる状況にある患者さんがいて、最終的にいろんな段階を経てMAIDを選んだとします。それがカナダであればおそらく事件にはならなかったでしょうし、むしろお別れの前にご家族や友人にちゃんと「さよなら」を言えて、安全で、安らかに、そのときを迎えることができたかもしれません。

 ただ、MAIDを選択せず、人工呼吸器や人工栄養などを中止することも可能です。患者さんの自発的な意思決定による人工呼吸器や人工栄養などの延命治療の差し止めは、北米では合法なのです。

――樽見さんは、緩和ケアを学ぶために1999年にカナダに渡ったのですね。

樽見 20年ほど前は、日本では民間の医療機関が緩和ケアを始めていたものの、研修を受けられるような大学病院はありませんでした。カナダではすでに緩和ケアが大学病院の教育プログラムに組み込まれていたので、せっかくならしっかり学ぼうと、カナダに来ました。

 研修が終わったら日本に帰る予定でしたが、ちょうどその頃、エドモントン緩和ケアプログラムでスタッフの異動があったため、人手が足りなくなってしまった。まさに「猫の手も借りたい」という状況の、猫の手(笑)。それでカナダに残ることになり、今に至ります。

――猫の手ですか(笑)。それが今は大学教授になられて、臨床医としても活躍されています。そこで2つの国の緩和ケアを知る樽見さんにお聞きしたいのですが、死に対する構え方が日本とカナダとでは違うような気がします。実際はどうでしょうか。

樽見 カナダは多民族国家であり、個々の文化の背景にもよりますが、“セレブレーション・オブ・ライフ”といって、予後の限られた患者さんがご家族や友人に感謝を表現することがあります。また、幼い子どもや孫のために、誕生カードや手作りの贈り物を用意していて、毎年渡せるようにしておいたり、メッセージを録画したりしておくことも。その時間を大切な人たちと一緒に過ごすことによって心の準備ができますし、その方が亡くなった後のご家族や友人の受け止め方もだいぶ違ってくると思います。

患者や家族が幇助死を求めて訴訟に

――日本では、京都の事件のようなことがあっても法制化の議論は起こりません。

樽見 それはとても残念なことです。本当はこういう事件の後だからこそ、第二、第三の彼女のような人が出てこないためにはどうしたらいいか、事前意思表示を法的に尊重する制度や、事前意思表示に基づく治療差し止めを合法化することを、学会や議会で正式に議論することが必要です。カナダでMAIDが合法化されるにあたって大きな力となったのは、「死ぬ権利」を強く訴え続けた患者さんやその家族です。

Chinnapong/Shutterstock.comChinnapong/Shutterstock.com

――日本では自国で死ぬことを諦め、海外で最期を遂げた方もいます。

樽見 合法化される前のカナダでも、脊椎狭窄症の痛みから解放されるために、スイスで幇助自殺を選択した80代の女性がいます。

――カナダでは2016年にMAIDが法制化されました。

樽見 カナダでも長年、自殺幇助は犯罪行為とされていましたが、ALSによる筋力低下で自殺をする身体機能を失った44歳の女性が、1993年に自殺幇助による死ぬ権利を巡り、憲法改正を訴え訴訟を起こしました。最高裁では僅差で敗訴となりましたが、その後、先に挙げたスイスで死亡した女性の遺族と、もう一人のALSと診断された女性が幇助死による死ぬ権利を主張して訴訟を起こしました。

 そして2015年2月、カナダ最高裁が終末期の苦痛から解放されるための幇助死を禁止する法律を違憲とし、議会が医療幇助死の施行を2016年6月までにできるようにしなければならなくなったのです。

――患者さんの訴えが国を動かしたということですね。報告書を見ると MAIDを選ぶ人は年々増えていて、2016年後期は510人、17年前期は875人、17年後期は1086人、18年は1月から10月の数字ですが、2614人でした。

樽見 毎年、その年の全死亡者数の約4%がMAIDで亡くなっています。男女は半々で、平均年齢は70代前半。がんと診断された方がもっとも多く、神経難病、心疾患の順番になっています。実際、私はこの1カ月で100人以上の新規の患者さんを診ましたが、そのうちMAIDを希望する患者さん3人の緩和ケアを受け持ちました。

MAIDをする医師は非公表

Mr.NikonMr.Nikon/Shutterstock.com

――MAIDのシステムはどうなっているのでしょうか。

樽見 MAIDを提供できるのは、医師免許を管理するそれぞれの州の団体に正式登録した医師や薬剤師などです。医師が致死薬を静脈注射する方法と、医師が患者に致死薬を処方し、患者自身が服用する方法があります。

――MAIDを行うのはどんな医師なのでしょうか。

・・・ログインして読む
(残り:約2269文字/本文:約5050文字)