メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

 コロナがやってくる直前、2019年のクリスマスシーズンだった。母親が入居している横浜の老人ホームを訪ねたときのこと。受付で来客用名簿に名前を書いていたら、足元に置かれたラジカセから懐かしいクリスマスソングが聞こえてきた。

 「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」(「ママがサンタにキスをした」)。この時期にはよく耳にする定番曲だが、特徴のあるリードヴォーカルの声からザ・ロネッツのナンバーであることがすぐに分かった。普段は食堂兼集会室から美空ひばりの「川の流れのように」などが聞こえてくる庶民的な老人ホームだから、そこで出会ったロネッツは、ちょっと素敵な贈り物みたいだった。

 ラジカセで鳴っていた音源は季節もののコンピレーションアルバムだろう。元々は1963年にフィレス・レコードから発売された「A Christmas Gift For You」の中の一曲である。この歴史的名盤のプロデューサーはフィル・スペクター。彼がそのキャリアの絶頂期につくった自慢の一枚だった。

CHRISTMAS GIFT FOR YOU-a
 フィレスのオリジナルアルバムジャケット拡大フィレス・レコードのオリジナルアルバム「A CHRISTMAS GIFT FOR YOU」=筆者提供
CHRISTMAS GIFT FOR YOU-b
 アルバムに封入されていたサンタ姿のスペクター拡大アルバム「A CHRISTMAS GIFT FOR YOU」に封入されていたサンタ姿のフィル・スペクター=筆者提供

若きタイクーンの肖像

フィル・スペクターさんの死去を発表した米カリフォルニア州更生・矯正局のホームページ 拡大フィル・スペクターの死去を発表した米カリフォルニア州更生・矯正局のホームページ
 2021年1月16日、新型コロナウイルスの感染に伴う合併症で亡くなったスペクターは享年81。死去したのは、刑務所から移送された先の病院だった。2003年に女優ラナ・クラークソンを射殺、2009年に第2級殺人罪で禁固19年の判決が下され、以来服役中だった。

 1939年12月、スペクターはユダヤ系白人としてニューヨークで生まれた。8歳のときに父親が自殺。1953年には家族でロサンゼルスへ移り住んだ。ジャズギタリストになろうと思っていたが、ハイスクール時代にロックンロールに遭遇してポップスへ転じた。仲間とバンド「テディ・ベアーズ」を結成し、1958年、「To Know Him Is To Love Him」(「逢った途端にひとめぼれ」)を発表、あれよあれよという間に全米ナンバー・ワンの座を獲得した。

 彼はこの晴天の霹靂のような大ヒットをきっかけに、ポスト・ロックンロールのアメリカ音楽業界で若きタイクーン(大君)にのし上がっていく。

 新進のソングライターが集まるニューヨーク(そのメッカはキング&ゴーフィンやグリニッチ&バリーらがいたブリル・ビルディング)で、プロデューサーとしてヒット曲を連発し、1961年にはベテラン・プロデューサーのレスター・シルと共同でフィレス・レコード(フィルとレスターの名前を組み合わせたレーベル名)を設立した。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

菊地史彦の記事

もっと見る