2021年01月29日
コロナがやってくる直前、2019年のクリスマスシーズンだった。母親が入居している横浜の老人ホームを訪ねたときのこと。受付で来客用名簿に名前を書いていたら、足元に置かれたラジカセから懐かしいクリスマスソングが聞こえてきた。
「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」(「ママがサンタにキスをした」)。この時期にはよく耳にする定番曲だが、特徴のあるリードヴォーカルの声からザ・ロネッツのナンバーであることがすぐに分かった。普段は食堂兼集会室から美空ひばりの「川の流れのように」などが聞こえてくる庶民的な老人ホームだから、そこで出会ったロネッツは、ちょっと素敵な贈り物みたいだった。
ラジカセで鳴っていた音源は季節もののコンピレーションアルバムだろう。元々は1963年にフィレス・レコードから発売された「A Christmas Gift For You」の中の一曲である。この歴史的名盤のプロデューサーはフィル・スペクター。彼がそのキャリアの絶頂期につくった自慢の一枚だった。
1939年12月、スペクターはユダヤ系白人としてニューヨークで生まれた。8歳のときに父親が自殺。1953年には家族でロサンゼルスへ移り住んだ。ジャズギタリストになろうと思っていたが、ハイスクール時代にロックンロールに遭遇してポップスへ転じた。仲間とバンド「テディ・ベアーズ」を結成し、1958年、「To Know Him Is To Love Him」(「逢った途端にひとめぼれ」)を発表、あれよあれよという間に全米ナンバー・ワンの座を獲得した。
彼はこの晴天の霹靂のような大ヒットをきっかけに、ポスト・ロックンロールのアメリカ音楽業界で若きタイクーン(大君)にのし上がっていく。
新進のソングライターが集まるニューヨーク(そのメッカはキング&ゴーフィンやグリニッチ&バリーらがいたブリル・ビルディング)で、プロデューサーとしてヒット曲を連発し、1961年にはベテラン・プロデューサーのレスター・シルと共同でフィレス・レコード(フィルとレスターの名前を組み合わせたレーベル名)を設立した。
ここからスペクターの快進撃がさらに加速する。黒人ガール・グループ、ザ・クリスタルズのヒットソングを連発しながら、有能なアレンジャーや音響エンジニア、後に「レッキング・クルー」と称される凄腕のスタジオミュージシャンたちを集め、自身が理想とする「音」を徹底的に追求していく。スタジオに大人数の演奏者を詰め込み、楽器の音を幾重にも重ね、音圧の強い“壁”のようなサウンド(「ウォール・オブ・サウンド」)をつくり出そうとした。
スペクターの偏執的ともいえるこだわりは、しばしばスタッフとミュージシャンに長時間のセッションを強い、彼らは意識が朦朧となるほどの疲労状態の中で演奏を続けることになった。これが一つめのスペクター伝説である。
「ウォール・オブ・サウンド」が明確な成果を生み出した最初の曲は、クリスタルズ名義の「He's A Rebel」(「ヒーズ・ア・レベル」、1962)。後にスペクター御用達となるハリウッドのゴールド・スター・スタジオにミュージシャンがかき集められたが、クリスタルズの面々は誰もいなかった。代わりにマイクの前に立ったのは
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