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宇佐見りん『推し、燃ゆ』がコロナで心に染みて、わかりみが深すぎる

矢部万紀子 コラムニスト

 新型コロナウイルスがなければ、たぶん私は『推し、燃ゆ』(宇佐見りん著、河出書房新社)を読むこともなかったし、ましてや「わかりみが深すぎる」と思うことなど決してなかったに違いない。ひねくれ者なので、21歳で芥川賞受賞などと聞いた瞬間に「話題作りだな」と反発してしまうのだ。

宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)宇佐見りん『推し、燃ゆ』(河出書房新社)
 そんな私が、『推し、燃ゆ』を読んだ。若者言葉は意外なほど使われず、端正な文章で好きなアイドル(=推し)を応援する(=推す)日々と心理が描かれていた。なるほど、そういうことかと、「推し」という言葉が理解できた。正しく理解したか定かではないが、すごく納得した。こういうことを「わかりみが深すぎる」というのだと思ったので、使ってみたのが冒頭で、新型コロナウイルスに覆われた今だからだと思う。

 『推し、燃ゆ』の主人公は、高校2年生のあかり。アイドルグループ「まざま座」の真幸(まさき)を推している。コロナは描かれていないが、しばしば登場するのが「重さ」だ。あかりの一人称で進む物語。体育の授業でプールサイドにいれば、「肉体は重い。……月ごとに膜が剥がれ落ちる子宮も重い」。庭に干したバスタオルが雨に濡れても放置するのは、「水の重さがそっくりそのまま面倒くささだ」。

 コロナ禍でなければ、「若者の生きにくさ」の象徴としかとらえなかったと思う。が、今は違う。どんよりとした閉塞感。いつ終わるのか先が見えない。コロナで「重さ」を実感する。あかりの重さは、推しを推す切実さだとわかる。切実さにつながれる。わかりみが、深くなる。

私と推し〜「愛の不時着」から『推し、燃ゆ』へ

「2020ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に「愛の不時着」が選ばれた=2020年12月1日「2020ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に選ばれた「愛の不時着」=2020年12月1日

 「私と推し」について、少し書く。ヒョンビンを推しております。2020年4月、最初の緊急事態宣言が出て落ち込んだときに、ドラマ「愛の不時着」(Netflix)を見て以来。主役の北朝鮮大尉を演じるカッコよさにしびれ、過去作品を追いかけた。救われた。

 多くの人と「『愛の不時着』がいかに素晴らしいか」を語り合う中、ある女性の言葉が印象に残った。「推しの視点を大切にしているから、愛の不時着はすごくよい」。それまで「推し」という言葉は、「ぴえん」だと思っていた。若い皆さんは「えーん」と泣かずに「ぴえん」と泣く。それと同じく「ファン」と言わずに「推し」と言う。そういうものだろう、と。

 だが彼女は40代。「推す」とは「好きな相手が幸せだったらそれでいいという、究極の尊い気持ち」だと定義し、「愛の不時着」と結び付けた。すべてを理解したわけではなかったが、何か新しい世界を表しているようだ。彼女の熱気から、そう思った。

 そうこうしてる間に10月になり、「あさイチ」(NHK)が「“推しのいる生活”のススメ」を特集した。ヒョンビンが取り上げられるに違いないと予測して見たらその通りで、2人のファンが紹介されていた。番組の結論は、「推しがいると行動力が上がる」だった。それは、わかる。私もヒョンビン主演ドラマ9本(放映時間は計1万98分)をコンプリートし、韓国・朝鮮半島関連の本を読み、映画も見た。が、それだけなら「ファン活動」と同じでは? 「推し」の真髄に届いていない感覚が残った。

 その頃、買ったのが「文藝」2020年秋季号だった。特集が「覚醒するシスターフッド」なので買ったのだ。おっさんはびこる永田町への不信感が激しく増し、救えるのは「弱者」という立場を引き受けている女性同士の助け合いだと思っていた。そこに掲載されていたのが、宇佐見さんの文藝賞受賞第1作「推し、燃ゆ」だった。

 以上が「私と推し〜『愛の不時着』から『推し、燃ゆ』」編、コロナが連れてきてくれたのだ。読んで、すごくすっきりした。「推し」は単なる

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