鈴木理香子(すずき・りかこ) フリーライター
TVの番組製作会社勤務などを経て、フリーに。現在は、看護師向けの専門雑誌や企業の健康・医療情報サイトなどを中心に、健康・医療・福祉にかかわる記事を執筆
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
東大大学院人文社会系研究科上廣死生学・応用倫理講座特任教授・会田薫子さんに聞く
ALS(筋萎縮性側索硬化症)をわずらう女性(当時51)からSNSを通じて依頼を受けた医師2人が女性に薬物を投与して殺害したとされる事件をどう受け止めればいいのか。
連載の最終回は、患者の意思を尊重し、本人らしい最期を迎えるために、医療者・ケア従事者はどう支えるべきかを考える。その比較的新しい学問である「医療倫理」を牽引する東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター上廣講座特任教授の会田薫子さんにご登場いただいた。
会田薫子 東京大学大学院医学系研究科健康科学専攻博士課程修了。博士(保健学)。ハーバード大学メディカル・スクール医療倫理プログラム・フェロー(フルブライト留学)、東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター上廣講座特任准教授を経て、現職。エンドオブライフ・ケア領域においてフロンティアを拓いてきた。著書に『長寿時代の医療・ケア――エンドオブライフの論理と倫理』(シリーズ ケアを考える/ちくま新書)など。
――会田さんは「本人らしい最期を迎えるため」の研究をされています。今回の京都の“安楽死”事件をどうみますか?
会田 今後、公判が始まれば徐々に事実関係が見えてくると思いますけれど、最初に報道で知ったときは、よくわからない事件だと思いましたね。
そうした限定的な状況のなかで言えるとしたら、主治医でもない医師が初めて会った患者に適切な診察もせず、いきなり致死薬を投与することは、医師の職業倫理という点で論外だということでしょう。また、胃ろうを含めたあらゆる医療行為は、「患者さんの幸せの実現を目指すためのもの」です。それが叶わなかったようなので、そこには医療・ケア従事者による女性への意思決定支援について、省みるべきところがあったかもしれないとも感じました。
――意思決定支援というのは?
会田 医療・ケア従事者が患者さんと対話しながら、本人の意思を尊重しつつ、治療やケアの方針などの決定を支援することを言います。医学的判断に基づいて、本人の生活と人生の視点から最もよい選択をするためにはどうすればいいか。本人やご家族と、医療・ケア従事者が一緒になって考えて、悩みも共有しながら、合意を形成していきます。このことは、治療の差し控えや、いったん開始した治療を終了する場合も同じです。
――治療を終了する場合も、ですか。
会田 そうです。もちろん、患者さんが「こんな状態で生きていたくない。死にたい」と訴えたときに、その背景に痛みや苦しみがある場合は、緩和ケアを尽くしていただくことがとても大切になりますが。
一方で、すべての緩和ケアを尽くしても、「この状態では自尊感情が維持できないので治療を終了し、看取ってほしい」という意向を患者さんが持っていたのだとしたら、医療・ケア従事者は「それはダメです」と拒絶するのではなく、その声も尊重する方向で一緒に検討していく必要があるでしょう。これは臨床倫理の問題になります。
――あくまでも患者さんが主体ということですね。
会田 日本には患者の権利に関する法律はありませんが、世界医師会の宣言(患者の権利に関するWMAリスボン宣言)では、患者の意思の尊重は患者の権利として確立されているんです。それは「精神的に判断能力のある成人患者は、いかなる診断上の手続きないし治療に対しても、同意を与えるかまたは差し控える権利を有する」というものです。
――はっきり示されていますね。
会田 患者の権利を尊重するのなら、進行性の病気を患った方が自律的な判断として「もう治療をやめてほしい」と訴えた場合、その治療を続けないというのが理屈上は正しい。その場合、患者さんは延命医療の終了をもって、自然死を迎えることになります。
反対に、ご本人の意向に明確に反して治療を続ければ、患者の権利を侵害することになり、倫理的に間違っていることになります。実際、物理的に抵抗できない状態の患者さんが、自分の意思に反して医師のなすがままにされるということは、人権侵害にあたると言えるでしょう。
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