鈴木理香子(すずき・りかこ) フリーライター
TVの番組製作会社勤務などを経て、フリーに。現在は、看護師向けの専門雑誌や企業の健康・医療情報サイトなどを中心に、健康・医療・福祉にかかわる記事を執筆
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
東大大学院人文社会系研究科上廣死生学・応用倫理講座特任教授・会田薫子さんに聞く
――ただ、そうはいっても治療をやめる決定はそんなに簡単ではありません。
会田 そうなんです。それは、ご本人が「治療をやめてほしい」と言ったからといって、それを、即、本人の自己決定と解釈して治療を終了してしまうのは、倫理的に不適切だからです。というのも、この意向は本人の真意で、自律的な判断といえるのかが問題になることが多いためです。
なぜ患者さんは「治療を終わりにして」と言ったのでしょう? 患者さんが言語化した背景を理解するために、医療・ケア従事者は対話をしていく必要があるんですね。
――真意ではなくても「死にたい」と言ってしまう、と?
会田 そもそも、心身ともに非常に弱った状態のときに、私たちは冷静で自律的な判断がしにくいですよね。誰でも、どこかに痛いところや身体機能の低下が出てくれば、気持ちが弱くなって、理性的に考えることは難しくなると思うのです。
まして、進行性の難病のため、自分の望むケアを受けることが日常的に難しい状況にあったと思われるALSの女性患者さんのような状態であればなおのことです。彼女が「精神的に判断能力のある成人患者」であったとしても、その言動をうのみにするのは、彼女の意思を尊重したことにはなりません。
――でも、会田さんは「胃ろうをやめたい」と希望した女性に、主治医が「止めることはできない」と言ったことについては、異論をお持ちです。
会田 胃ろうだけでなく、人工呼吸器でも、その他の治療法でも同様ですが、患者さんが「その治療を終わらせてほしい」と言ったときに、「それはダメ」と直ちに拒絶するのは臨床倫理的に適切ではないと考えているからです。何より、ダメと言われただけでは、患者さんは納得しないでしょうし、それどころか落胆してしまうかもしれない。目の前の医師やケアスタッフを信用しなくなるかもしれません。「この人たちは私の話を聞いてくれない。わかってくれない」と思われてしまったら、その後の医療・ケアの提供は一層困難になってしまいます。
ですから、こういう場合はまず「胃ろう栄養をやめたい」という気持ちを理解しようと、
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