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ジャイアント馬場がめざした明るいプロレス。その原点は野球だった

[上]「巨人軍の一員であることに誇りを持っていました」

市瀬英俊 スポーツライター

読売巨人軍の選手からプロレス界へ。世界を股にかけて活躍した馬場正平=ジャイアント馬場は、一人の心優しい男でもあった――。それは妻・元子と交わしていた数多くの手紙にも表れている。没後22年にして初めて明かされた往復書簡など貴重な一次資料をもとに、馬場に最も信頼されたスポーツライターが書く、語られなかった真実。

 暑い夏だった。2020年9月3日、新潟県三条市で、9月としては統計開始以来国内初となる気温40℃超え(40.4℃)を記録した。

 その1カ月前。8月上旬の三条もまた暑かった。有無を言わさぬ暴力的な日差しのもと、筆者は白球を追う中学生に出くわした。

 そこはかつて三条市立第一中学校のグラウンドとして、子どもたちが流す汗を吸い取っていた場所。校舎は数年前、近隣の土地に新設され跡地は公園となったが、グラウンドはマウンドやバックネットとともに残った。

 彼らは同校の野球部員だった。

三条第一中学校の写真(撮影:市瀬英俊拡大ジャイアント馬場の母校、新潟県の三条市立第一中学校のグラウンド=撮影・筆者

 しばし練習風景を眺めたあと、指導者にお願いして彼らを集めてもらった。そして、ある質問を投げかけてみた。

 「プロレスラーのジャイアント馬場って知ってる?」

 サササッと手が挙がる。三条に生まれ、209センチの長身を武器にプロレスラーとして一時代を築き、2016年には三条の名誉市民に選定された人物のことは、中学生であってもさすがに基礎知識として把握しているようだった。では、もうひとつ。

新潟県の三条市立第一中学校=撮影・筆者拡大三条市立第一中学校のグラウンド=撮影・筆者
 「そのジャイアント馬場が第一中学の出身で、キミたち野球部員の先輩だっていうのは知ってる?」

 今度はサササッとはいかなかった。知っている子もいたが、おおむね反応は鈍かった。

 無理もない。1938年1月生まれのジャイアント馬場こと馬場正平が中学に入ったのは1950年の春。彼らにとっては70年も前の「歴史上の出来事」なのだ。

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筆者

市瀬英俊

市瀬英俊(いちのせ・ひでとし) スポーツライター

1963年、東京都生まれ。千葉大学法経学部卒。「週刊プロレス」全日本プロレス担当記者等を経て、現在スポーツライター。著書に『夜の虹を架ける――四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」』(双葉社)、『ワールドプロレスリングの時代――金曜夜8時のワンダーランド』(朝日新聞出版)など。