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森喜朗氏発言問題から学ぶこと――昭和の文化を背負って令和を生きる難しさ

野菜さらだ コラムニスト/言語聴覚士

一番驚いているのは森氏本人かもしれない?

 東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会会長の森喜朗氏(83歳)の問題発言が国内のみならず、海外でも大きな問題になっている。日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で「女性の多い会議は時間がかかります」などと発言したことが女性蔑視だとの批判を受けたのだ(「森喜朗会長の失言に批判殺到『女性の多い会議は時間がかかります』ライブドアニュース)。

 今回の一連の報道に一番驚いているのは、もしかすると森氏ご本人ではないだろうかと思いつつ各種報道を見ている。「妻に、娘に、孫娘に叱られた」と語るその姿は、憐れにも見える元首相である。「もうボランティアをやりたくない」という訴えも噴出しているという(「『ボランティアやる気なくなった』 森会長女性蔑視発言 東京都に抗議殺到」ライブドアニュース) 。

森喜朗氏の発言は、「令和の時代」にはそぐわなかった森喜朗氏の発言は、「令和の時代」にはそぐわなかった

 「あの発言が何でこんな騒ぎになるんだ!?」。本当はそうおっしゃりたいのかもしれない。たぶん、ご本人は感じたことをそのまま率直に表現しただけということなのだろうとその様子からは推測される。

 しかし、先の発言は「令和の時代」にはそぐわないものだということに気付けなかった。そこに森氏と今の社会の認識の間隙(ズレ)があったのだ。

 この発言問題の第一報を聞いたとき、私はてっきりクローズな会議でうっかり本音を言ってしまわれたのか? と思ったのだが、なんとオンラインで報道陣にも公開された場での発言だったということを知り、逆にこちらも仰天したくらいである。「今、これを言ったらまずい」というフィルターが本当に働いていなかったのでは……と思わずにいられない。

昭和一桁の父のこと~男尊女卑の権化のような行動スタイル~

Edvard Molnar/Shutterstock.comEdvard Molnar/Shutterstock.com

 テレビに映し出される森氏の様子を見ていて、そこに重なってくるのは、昭和一桁生まれの私の父である。

 父は森氏より5つ年上で今年88歳になる。物心ついたころから、私にとって父親というのはただ「怖い」存在であった。大学卒業後から大手ゼネコンに勤め、戦後の高度成長期にまさにイケイケの勢いの会社であったのだろうと思う(当時は子どもなのでそんなことはよくわからない訳だが)。大体、朝早く家を出て夜遅く帰宅するというまさに「企業戦士」のお手本のような父だった。もちろん週休1日、日曜日だけが仕事が休みという時代だ。

 そんな父とのやりとりで思い出すのは、子どもたちや母が何か言えば「うるさい! 女、子どもは黙ってろ」という言葉だ。私が子どもの頃、私には発言権など一切なかったのである。家のことは家長である父がすべて決める、それが当たり前の「文化」であり、それに口を差し挟むことなどできる余地はなかった。

 父に何か気に入らないことがあれば、物が飛んだ。一番すごいものとしては、母のお化粧用の三面鏡が庭に飛んだことがあった。さながら野球漫画「巨人の星」のお父さんのちゃぶ台返しの場面のように、である。そのきっかけが何だったかは覚えていないが、あれ以来うちには三面鏡はなくなった。

 旅行に行くというときも、家族で話し合って決めたという記憶は全くない。どこに行くか、すべて決められていたように思う。たまに「お腹がすいた……」とか移動の車中で言うと「我慢が足りない」と叱られた。

 二言目には「働かざるもの食うべからず」と言われ、毎日決められたお手伝いを行うことが子どもにはもちろん課せられていた。私自身、小学生の頃から「大学行くなら現役で合格しろ、浪人はさせない、落ちたら働け」と言われ続け、浪人することへの恐怖がそのころから植え付けられていたように思う。

 たまに仕事の話を聞くことがあったが、そういう場合にも「女が仕事場に入ると、雰囲気がダレる」とか「女は仕事を任せてもやっぱりだめだ」という、森氏どころではない発言の嵐であった。今の時代であれば、すべてNGであろう。

 今、自分自身の専門の行動分析学という学問分野の視点から一連の父の言動を省察してみれば、

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