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時間とともにその価値を増してきた広島やくざの歴史物語

【5】「仁義なき戦い」の原作を読んでみた

中川文人 作家

はじめは普通の映画だった 

 今、私の⼿元には「『仁義なき戦い』をつくった男たち」(NHK出版)という本がある。これは、2003年5⽉3⽇、NHK教育テレビで放映された「ETVスペシャル 『仁義なき戦い』をつくった男たち」という番組を書籍化したものである。

 私はこの番組の存在を知らなかった。だから、図書館でこの本を⾒つけた時は驚いた。「あの『仁義なき戦い』がNHKの番組になるとは…。しかも、封切りから30年も経って…」と。

 『仁義なき戦い』が封切上映されたのは1973年1⽉13⽇。私がこの映画を初めて観たのは中学⽣の時だから、70年代の後半である。たぶん、テレビでやったのだろう。友達もみんな観ていて、それからしばらく私たちの間では広島弁が標準語だった。

 初めて映画館で観たのは⾼校⽣の時だ。授業をさぼって吉祥寺の映画館に⾏ったのだが、客席は酔っ払ったおっさんやヒッピーのような⻑髪の若者、そして、私のように授業を抜け出してきた⾼校⽣でいっぱいだった。モウモウと⽴ち込めるタバコの煙でスクリーンがよく⾒えず、「ぶんたー」「あきらー」という喚声と、「こらー」「やったれー」という怒号でほとんどセリフが聞き取れなかったのを覚えている。

 それからも私はちょくちょくこの映画を観ている。邦画で最も多く観たのは『仁義なき戦い』だと思う。

 NHK出版の本は『仁義なき戦い』を作った男たち、すなわち、監督の深作欣⼆、脚本を書いた笠原和夫、カメラマンの吉⽥貞次、そして、当時の東映の社⻑、岡⽥茂などの物語である。

 著者は番組のディレクターを務めた⽶原尚志と映画評論家の⼭根貞男。この⼆⼈も私と同じように何度もこの映画を観たのだろう。この映画に寄せる熱い想いが伝わってくる本だった。

 が、すっきりしないものも残った。

 ⽶原尚志は『仁義なき戦い』シリーズをこう紹介している。

 「⼀九七〇年代の前半に公開されて⼤ヒット、三⼗年経ったいまなお伝説的な作品として新たなファンを⽣み出しつづけている」

 たしかにそうなのだろう。NHKの番組になるくらいなのだから伝説的な作品なのだろう。

 しかし、私の知っている『仁義なき戦い』はそうではなかった。私の知っている『仁義なき戦い』は、昼間から仕事もしないで酒を飲んでいるおっさんや、授業をさぼって吉祥寺の街でぶらぶらしている不良⾼校⽣の映画だった。いったい、いつから『仁義なき戦い』はこんなにえらくなったのか。

拡大イラスト・斉田直世

たいしたヒットではなかった

 『仁義なき戦い』の出世に⼾惑っているのは私だけではない。このシリーズを担当した東映のプロデューサー、⽇下部五朗もこう⾔っている。

 「私は正直、『仁義なき戦い』が歴史に残る映画とは考えたことがなかった」(⽇下部五朗『健さんと⽂太』、光⽂社新書)

 映画を⾒る⽬に肥えた東映のプロデューサーも、『仁義なき戦い』がここまで化けるとは思わなかったのだ。⼭根貞男もNHKの本の中でこう強調している。

 「『仁義なき戦い』は当時、ごく普通の映画としてつくられた」「いまの⽬からすると、戦後映画史に突出している『仁義なき戦い』シリーズは、たいへん特別な作品として撮られたかのように⾒えるかもしれないが、事実はまったく違う。東映が年間に何⼗本も⼿を代え品を代えて世に送り出す⼤量⽣産の映画の⼀本として企画・製作されたのである」

 当時の映画興⾏は、よほどの⼤作でない限り⼆本⽴てで封切上映されるのが普通で、『仁義なき戦い』シリーズもそれぞれ他の作品とセットで上映されたのだが、どんな作品が併映されたかというと次の通りである。

『仁義なき戦い』/『⼥番⻑』
『仁義なき戦い 広島死闘篇』/『狂⾛セックス族』
『仁義なき戦い 代理戦争』/『番格ロック』
『仁義なき戦い 頂上作戦』/『⼥番⻑ タイマン勝負』
『仁義なき戦い 完結篇』/『極悪拳法』

 『仁義なき戦い』シリーズで主役を演じた菅原⽂太は、今でこそ「国⺠的⼤スター」だが、この映画がつくられた当時はヒット作に恵まれず、鳴かず⾶ばずの役者だった。監督の深作欣⼆にもヒット作がなく、東映社内で「当たらない監督」と陰⼝を叩かれていた。

 『仁義なき戦い』は、⼤スターが出演し、巨匠が撮る特別な作品ではなく、『狂⾛セックス族』や『⼥番⻑ タイマン勝負』を観にきた客が、ついでに観ていく映画だったのだ。

 それなのにこの映画はヒットし、シリーズ化されたのだが、空前の⼤ヒットだったかというとそうではない。シリーズ5作の配給収⼊は、⽇下部の『健さんと⽂太』によれば以下の通りである。

第⼀作 5.7億円
第⼆作 4.8億円
第三作 4.9億円
第四作 3.0億円
第五作 3.7億円

 当時、松⽵の「寅さん」シリーズの配給収⼊は10億円を超えていた。だから、『仁義なき戦い』の出した数字はそれほどのものではない。ヒットといっても中程度のヒットである。菅原⽂太主演の映画では、『トラック野郎 天下御免』(1976年)が12.8億円で、こっちの⽅がよっぽど稼いでいる。

 しかし、今、『トラック野郎』が話題になることはほとんどない。封切当時の成績は『トラック野郎』の⽅が上だった。が、今は⽴場が逆転している。⽇下部はこう⾔う。

 「時間が経つにつれてその価値を増してきているのが『仁義なき戦い』である」

 時間が経つにつれて価値を増すものはいろいろある。芸術作品もそうだろう。しかし、『仁義なき戦い』は芸術作品ではない。東映の量産体制から⽣まれた⼤衆娯楽映画である。普通、⼤衆娯楽映画は時間が経つにつれて⾊褪せ、陳腐化する。

 ではなぜ、『仁義なき戦い』の価値は増し続けるのか。

 私はこの謎を解くために、『仁義なき戦い』の原作、飯⼲晃⼀の『仁義なき戦い』(死闘篇と決戦篇、⾓川⽂庫)を読んでみた。

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筆者

中川文人

中川文人(なかがわ・ふみと) 作家

1964年生まれ。法政大学中退、レニングラード大学中退。著書に『身近な人に「へぇー」と言わせる意外な話1000』(朝日文庫)、『地獄誕生の物語』(以文社)、『ポスト学生運動史』(彩流社)など。本の情報サイト『好書好日』で「ツァラトゥストラの編集会議」の構成担当。総合誌『情況』にてハードボイルド小説「黒ヘル戦記」を連載中。

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