勝部元気(かつべ・げんき) コラムニスト・社会起業家
1983年、東京都生まれ。民間企業の経営企画部門や経理財務部門等で部門トップを歴任した後に現職。現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱う。著書に『恋愛氷河期』(扶桑社)。株式会社リプロエージェント代表取締役、市民団体パリテコミュニティーズ代表理事。所有する資格数は71個。公式サイトはこちら
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
批判する人々からも感じる女性蔑視を掘り下げてみた
ここまであからさまではなくとも、「#わきまえない女」の波に乗るように一部の男性著名人が投稿した「#わきまえない男」も誤った批判だと思います。彼らはおそらく自分よりも権力を持つ者から「わきまえろ」と言われて忸怩たる思いをした経験があり、「自分もそのような権威主義的抑圧には反対だ!」と言いたいのでしょう。それにNOを言うこと自体は大切です。
しかし、森氏の発言で問題になったのは、あくまで女性蔑視です。確かに、男性にも「わきまえろ」という圧力はあるものの、それは主に「年下のくせに」「役職が低いくせに」「新参者のくせに」といったように、別の属性を根拠とした抑圧であって、「男のくせに」という性を理由とした抑圧は、この男性中心社会にはほぼ存在しないのではないでしょうか。
つまり、彼らが言いたいのはあくまで「わきまえない年下」「わきまえない部下」「わきまえない新参者」であり、それを「#わきまえない女」と並列するのは不適切です。むしろ、「#わきまえない女」を“中和”させ、「女性」を理由とする強烈な抑圧という今回の問題の本質を見えなくしています。それは女性蔑視問題の矮小化に他なりません。
仮に、ここで「#わきまえない女」と対にするのであれば、「#女性に対して性別を理由にしたわきまえる態度を一切求めも期待もしないし、そのような男性を公然と批判できる男」だと思います。
次に、「女性が生きやすい社会は、男性も生きやすいのです(なので、森氏は辞任しなければならない)」といった発言も、問題を同様に矮小化する危うさがあります。