薄雲鈴代(うすぐも・すずよ) ライター
京都府生まれ。立命館大学在学中から「文珍のアクセス塾」(毎日放送)などに出演、映画雑誌「浪漫工房」のライターとして三船敏郎、勝新太郎、津川雅彦らに取材し執筆。京都在住で日本文化、京の歳時記についての記事多数。京都外国語専門学校で「京都学」を教える。著書に『歩いて検定京都学』『姫君たちの京都案内-『源氏物語』と恋の舞台』『ゆかりの地をたずねて 新撰組 旅のハンドブック』。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
血しぶきを上げて倒れる脇の華
「センセイは、ほんとうに凄い役者でした。人間的にも、誰ひとりセンセイのことを悪くいう人はいません」
東映京都撮影所の人々は、みんな口を揃えていう。
〝センセイ〟とは、東映の大部屋俳優福本清三さんのことである。撮影所の関係者は、福本さんのことを〝センセイ〟という愛称で呼ぶ。なぜ先生なのか。
「時代劇で悪い親分に雇われる浪人がいるでしょ。ここ一番の場面で〝先生、お願いします〟って頼まれて、主役に斬られてしまう浪人が。福本さんはその浪人役を何万回と演じられて、いつしか〝センセイ〟と、撮影所の皆が呼ぶようになりました」と、福本清三さんと長年の付き合いがある俳優の細川純一さんが教えてくれた。
東映剣会で鍛え抜かれた殺陣(たて)の技、そして斬られ役として「死にかたの名人」といわれた刹那の演技、近年ではトム・クルーズ主演『ラストサムライ』に出演したことでも話題になったが、はじめから福本さんの演技が買われたわけではなかった。
「時代劇全盛の頃は、立ち回りで出ていても、画面に映りもしなかったそうです。センセイの立ち回りはリアルなんです。当時の美意識でいうと〝汚い〟ということになる」と細川さん。
市川右太衛門、片岡千恵蔵の両御大が看板を張っていた、時代劇華やかかりし時代に東映へ入った福本さんは、何百人もいたエキストラの中で、死骸どころか、通行人がせいぜいだったと、生前伺ったことがある。
当時の殺陣は、まるで舞踊のような美しい立ち回りが主流であった。福本さんの切れ味鋭い素早い殺陣とは波長が違った。その後も、どれほど目立った立ち回りをしても、いつもフレームからカットされる存在であったという。
しかし、その〝生々しく汚い死にざま〟を、素晴らしいと認めていた監督がいた。深作欣二監督である。『仁義なき戦い』で拍車がかかり、次々と実録路線の映画が制作される中、殺陣もリアルさを増していく。