一生の間に「二世」を生きるごとき体験を人にさせる出来事がある。日本では、いわゆる「明治維新」(1867年)、アジア太平洋戦争の「敗戦」(1945年)などがその典型例だが、私には1995年や2007~08 年の出来事もそうだったと思われる。
画期的なスマホの出現
1995年の出来事とは、「ウィンドウズ95」が発売されると同時に、携帯電話の普及が進んだことである。2007~08年のそれは、スマートフォン(スマホ)の誕生である。
両者が「明治維新」「敗戦」と異なるのは(事態が政治変動ではなく市民社会で進行したという事実もあるが、むしろそれ以上に)、それが画期的な出来事になるかどうかは、その時点でははっきりしなかった点であろうか。
だが今から見ると、それは明らかに画期的だった。特にスマホの誕生は。
現在20~30代以上の人は、この出来事を身をもって体験し、まったく異なる「二世」を生きたかのような実感を持っているのではないか。だがそれは幸不幸いずれの体験だったのか。スマホから取り残された世代・当事者には、不幸の体験だったろう。
公衆電話網が壊される

公衆電話が並んでいるスペースは激減した=1981年、東京・新宿
私は携帯電話もスマホも持っていない。今後も持つ気はない。
最大の理由は、スマホを含む携帯電話は、マイカーと同じように既存の公共網を破壊するということである。マイカーは公共交通網を、そして携帯電話・スマホは公衆電話網を。
マイカーの大規模な普及のおかげで、この半世紀、各地で鉄道・バスが激しく衰退した。これにしか頼れない人たちは、どれだけ困難な状況に追い込まれただろう。それと同じ事態を生む行為に、私は加担したくない。すでに携帯電話・スマホの普及によって、かつて随所にあった公衆電話はなくなりかけているが、この流れが強まれば、遠からず公衆電話は姿を消すだろう。
いつのことだったか、山手線が暴風雨のために不通となり、新宿駅に足止めされたことがあった。ホテルに連絡しようと、駅員に公衆電話の場所を聞いたが、結局駅員には分からなかった。それでも地下にあるらしいというので行ってみたが、あったのは広い地下コンコースに1カ所のみで、電話機自体も数えるほどしかなかった(ひょっとすると1台だったかもしれない)。
社会のスマホ依存が進めば、公衆電話が消滅するのは目に見えている。その時、携帯電話・スマホを持たない人は、街中にあって家族と連絡をとることもできなくなる。