橋本聖子さん会長選考プロセスをめぐる5つの疑問
「私たち世代の聖子さん」を腹を括って応援するしかない
野菜さらだ コラムニスト/言語聴覚士
私たちの世代には、代表的な二人の「聖子さん」がいる。一人は松田聖子さん、そしてもう一人が今や時の人となった橋本聖子さんである。
1980年代、彼女が現役のスピードスケート選手として大活躍していた頃、新聞などで「聖子~~」というタイトルを見ると「松田聖子? ああ~橋本聖子ね」と何度も二人のイメージが頭の中を行ったりきたりしたものだ。自転車競技でもオリンピック代表になり、冬夏両方に出場!など、話題になることが多いスポーツ界の聖子さんだった。

1992年、アルベールビル冬季五輪大会のスピードスケート女子1500メートルで銅メダルを獲得した橋本聖子選手
その橋本聖子さんが森喜朗氏の後任に決まった。就任会見をテレビで見ながら、私の頭には「Victim(犠牲者)」という言葉が一瞬過(よ)ぎった。
言葉を選びながら、時には涙を浮かべながら話をするその姿はかつて氷上で活き活きと滑っていた頃の聖子さんとは別人のようだった。コロナ禍の折、マスクをしなければならないことが今回の彼女には助け船になったようにすら見えた。下は顎がすっぽり隠れるほどに、上は目元ギリギリまでマスクで顔を隠すことでなるべく表情を読み取られないようにすることができたからだ。
彼女が東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長として、今夏の開催に向けて準備していくのは、今の世論で中止を求める声も聞かれている中において茨の道であることは火を見るより明らかだ。その大役を彼女は仰せつかった。