男性がやるべきことは、とにかくたくさん女性の話を聞くこと
2021年02月24日
「女性は話が長い」という森喜朗氏の女性蔑視発言問題は、あまりに大きく広がりました。そのため、これまで女性蔑視の問題について考えたことがほとんどないであろう人々も、一斉に話題にするようになったように感じます。
それ自体は大変よいことなのですが、それを語る男性たちの行動を見ていると、結局「女性が置き去りにされている」と感じるケースがたくさん生じています。とても酷い政治の世界とは別の場でも、問題意識が高いと思っている人が女性を置き去りにしていることはないでしょうか?
辞任表明、森喜朗氏的な女性蔑視は、男性誰もが持っているのだから
まず、マイクを握っているのが男性ばかりという事例が少なくありません。たとえ、その意見自体は「正論」だとしても、蔑視の被害当事者である女性そっちのけで語るのは本末転倒です。そもそも、ジェンダーに関する知見を有している人は圧倒的に女性が多いはずで、いや、むしろ多くなければおかしいのです。
もちろん、TV番組のキャスティングもそうですが、最近流行している音声SNS「Clubhouse」でも同様の傾向がみられます。森氏の一件から「Clubhouse」でも、女性蔑視について議論するトークルームが多数作られているのですが、たとえ、他のユーザーを登壇させる権限を持つモデレーターの女性比率が高いルームであっても、男性たちが発言権を求めてスピーカーに入った結果、男性ばかり話しているという状況に陥る光景を何度も見ました。
ちなみに、女性蔑視はよくないという前提で議論が進んでいるにもかかわらず、一部の男性が「そもそも何が問題か分からないから教えて欲しい」と話の腰を折り、議論が深まるのを妨害するような行為も散見されます。
森氏は女性の発言を制限したほうがいいかのような提案をしていましたが、このような事例を見ると、発言者のクオータ制を導入し、一定の制限を加えることが必要なのは、むしろ男性なのではと思ってしまうくらいです。実際、発言者のジェンダーバランスを考慮したモデレーターも見かけるようになり、それはとてもよい傾向でしょう。
次に、自民党や五輪に反対したいがために森氏を糾弾したり、流行に乗ろうとしているとしか思えない人は論外ですが、一見もっともなことを言っている識者や著名人でも、女性に対して怒りや悔しい思い、“疎外感”を与えてしまっているケースは少なくありません。
たとえば、男性識者が語るジェンダーに関する「正論」は、当事者の女性たちが既に何年も前から訴えてきたことばかりです。そうした発言に対して、これまで権力や発信力をもつ男性たちの多くは聞いてくれなかったのに、今になって男性識者の意見がすんなり受け入れられていることに、忸怩たる思いをしている女性は本当にたくさんいます。女性一人で説得しても納得しなかったのに、男性が加勢すると納得するケースもよくあります。
もし、私が理解のなかった男性陣の説得に成功した場合、「ちなみにこれは女性たちがずっと言ってきたことなのに、男性である私の意見が聞き入れられたのはなぜですか? そこに森氏のような女性蔑視はありませんか?」ということも合わせて問うようにしたいと思っています。発言力のある男性識者にも同様のことを心掛けて欲しいものです。
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