勝部元気(かつべ・げんき) コラムニスト・社会起業家
1983年、東京都生まれ。民間企業の経営企画部門や経理財務部門等で部門トップを歴任した後に現職。現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱う。著書に『恋愛氷河期』(扶桑社)。株式会社リプロエージェント代表取締役、市民団体パリテコミュニティーズ代表理事。所有する資格数は71個。公式サイトはこちら
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
自己表現より従属性を重んじる校則はもうやめましょう
茶髪を黒く染めるよう繰り返し指導され、精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の元女子生徒が府を相手に起こした訴訟の判決が2021年2月16日、大阪地裁でありました。
結果は元生徒である原告の勝訴となったものの、校則、生徒指導の方針、頭髪指導の違法性は認められず、原告の主張のほとんどは受け入れられませんでした。
この結論には疑問を持たざるを得ません。私は法律の専門家ではないので、ここでは法的な問題点には足を踏み込みませんが、判決文には、非論理的かつ非現実的であると感じる部分が散見されました。
1つ目は、社会通念を理由に、校則や頭髪指導の違法性を否定したことです。被告側は「校則は社会通念に照らして合理性がある限り、違法ではない」と主張し、判決文でも「社会通念に照らして合理的なものである場合には、裁量の範囲内のものとして違法とはいえない」と述べていました。ですが、この「社会通念」は、どのようにして形作られてきたのでしょうか?
明治時代に当時の文部省によって『小学生徒心得』が発行されて以降、昭和に入って、学生運動に影響を受けた自由化の波や社会的現象となった非行を学校側が抑えつけようと、校則はより細かくなっていったという経緯があります。そうして多くの学校が染毛の禁止を定めた校則を作ったがゆえに、社会全体に「中高生の染毛はよくない」という価値観が広まり、「社会通念」ができあがったのではないでしょうか。
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