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『1932年の大日本帝国』の断面からにじむ変わらない国情

松澤 隆 編集者

 89年前の3月、一人の外国人女性が横浜に着いた。アンドレ・ヴィオリス(Andrée Viollis)。およそ3カ月、彼女は満洲事変から間もない日本で要人に会い、都市も農村も取材した。夏前に帰国、仏紙「ル・プチ・パリジャン」で10回、『日本人の仮面〔マスク〕の下』として連載。翌年3月、『日本とその帝国(Le Japon et son empire)』として、単行本が刊行された。その全訳が、本書『1932年の大日本帝国――あるフランス人記者の記録』(大橋尚泰訳、草思社)だ。

ヴィオリスが傍聴した1932年3月22日の帝国議会に出席した閣僚たち。右端が犬養毅首相。装幀者は鈴木正道(Suzuki Design)拡大『1932年の大日本帝国――あるフランス人記者の記録』(大橋尚泰訳、草思社) カバー写真は、ヴィオリスが傍聴した1932年3月22日の帝国議会に出席した閣僚たち。右端が犬養毅首相。装幀者は鈴木正道(Suzuki Design)=筆者提供
 実に読みやすい。原文自体が、日本の実情を欧米人にわかりやすく(かつかなり辛辣に)伝える意図ゆえとは思うが、加えて、大橋尚泰氏の平明な現代語による訳文と、事実を補完する訳注が見事。訳注には写真や、モノクロとはいえ当時の景観を伝える絵葉書が存分に配置されている。かかる充実した訳注と、刺激的な本文、そして、訳者渾身(誇張でないことは読めばわかります)の「解説」により、1932=昭和7年の日本の断面が、生き生きと伝わってくる。

(訳注ページ314)
通称「国会通り」。ヴィオリスが来日した1932年は、正面で新国会議事堂が建設中。大通りの左側の仮議事堂(現在、衆議院第二別館があるあたり)で議会が開かれた拡大(訳注)通称「国会通り」(右)。ヴィオリスが来日した1932年は新国会議事堂が建設中。大通りの左側の仮議事堂(現在、衆議院第二別館があるあたり)で議会が開かれた=筆者提供
 彼女は61歳。当時の日本ではかなり高齢。邦人女性の平均寿命49歳未満、男性46歳未満という時代である。同じ1870年生まれには、西田幾多郎、鈴木大拙がいる。もちろん会っていない。

 しかし、《野党屈指の手ごわい論者》立憲民政党の斎藤隆夫は、《とても背の低い》立憲政友会総裁・犬養毅首相を論難する姿を、目撃されている。来日4日目の3月22日、議会傍聴席から見ていた彼女は、《奇妙なしかめっ面》の斎藤代議士が自分と同年とは知らなかったろう。その後の犬養の運命も。

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筆者

松澤 隆

松澤 隆(まつざわ・たかし) 編集者

みすず書房で出版営業、表現研究所(現・小学館クリエイティブ)で編集全般、春秋社で書籍編集に従事し、その後フリー。企画・編集した主な書籍は、佐治晴夫『からだは星からできている』『14歳のための時間論』、小山慶太『星はまたたき物語は始まる』、鎌田浩毅『マグマという名の煩悩』、立川談志『世間はやかん』など(以上すべて春秋社刊)。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです