亡き劇作家の「黙示録」、東北演劇人の思いはいま
2021年03月04日
仙台の劇作家、石川裕人(いしかわ・ゆうじん)が東日本大震災の翌2012年に発表した戯曲『方丈の海』は、「震災から10年後」の東北の港町を描いている。石川は上演直後に亡くなったが、作者が見つめていた「未来」を、いま改めて考えようと、東北を拠点にする演劇人たちがこの作品を上演している。「2021年版」の演出を手掛け、出演もする渡部ギュウさんが、この10年を振り返りながら、東北と演劇についてつづる。
東日本大震災から間もなく10年を迎える。2012年に初演された石川裕人の遺作『方丈の海』再演の演出を2年前に依頼された。
石川が主宰していた「TheatreGroup“OCT/PASS”(オクトパス)」のメンバーが中心となり再演に向けたプロジェクトを組んだ。台本中の設定が「あれから10年後の東北」だから、実際の2021年に上演したいとのことだ。
「オクトパス」の前身「十月劇場」のメンバーだった私。石川の座友たちからのオファーは正直嬉しかった。劇団を離れてから27年たったが、石川は演劇の同志であり、亡くなった今でも心の支えとなる存在だ。東北を愛し、文学、映画、音楽を愛し、心の広い演劇人、そして思想家、アナーキストであった。
『方丈の海』は沿岸部の被災の激しかった漁村の10年後を描いた作品。どんな立場でこの作品に挑むのか、相当に覚悟がいる仕事になると思った。被災地の方々のかさぶたを掻きむしるような上演にしてはならない。震災モノの芝居の難しさに悩み続けたこの2年。改めて、東北で演劇を続ける意味を問い直す日々だった。
『方丈の海』は大震災から1年後に、多くが足踏み状態だった仙台演劇界の中で、先頭を切って被災地を真正面から捉えた作品として初演された。
作者も役者もすごく勇気が必要だったと思う。「……さほどの被害もなかった私たちが、被災者ぶりして演じる怖さは、大きかった」と初演のメンバーたちは声を揃える。それでも石川の「目をそむけず直視し、調査し、想像し、舞台で疑似体験してみる」という意思がすごく伝わってきた上演だった。現実時間が非日常となっていた当時、勇気のある上演に感動した。東北弁を駆使し、東北愛を宣言していた。この2012年の上演がなければ、私たちの演劇再開は、もっと遅れていたに違いない。
『方丈の海』
2012年8月30日~9月8日、仙台市で、作者である石川裕人の演出で初演。津波で大きな被害を受けた小さな港町の2021年、ぽつんと残った映画館で館主一家らが暮らしているところに、遺骨を探す男や半魚人を連れた興行師、謎の老婆など様々な人たちが現れ、浜に騒動が起こる。
2021年公演の公式サイトはこちら。
3月7日まで=仙台市若林区のせんだい演劇工房10-BOX
3月12~ 14日=東京都杉並区の座・高円寺1戯曲は『「轟音の残響」から──震災・原発と演劇──』(晩成書房、2016年)に収録されている。
沿岸部へのアウトリーチ(ワークショップや寸劇の出前)をずーっと継続してきた俳優、読み聞かせや語りで頑張った者、被災者と一緒に舞台を創った劇団、本格的な応援公演を組んだ劇団、皆様々な試行錯誤の10年だった。
私自身は、「SENDAI座☆プロジェクト」というカンパニーで、東京、関西など県外公演も継続してきた。被災地カンパニーとして多くの応援を受けて、活動を止めないで済んだが、内心はヒヤヒヤだった。
地元貢献は後回しにして、自身の生き残りや生活保持ばかりに目が向いていたかもしれないという、うしろめたさ。それでも、東北の暮らしの中での演劇、身近な演劇、劇場を飛び出そう、というようなことが浮かんできて、演出家でもある妻と一緒に、市内の飲食店を会場に朗読劇「東北物語」「仙臺まちなかシアター」を展開し50ステージ近くの文学作品や戯曲を語った。市民向けの朗読・演劇講座も開講した。終末期医療での家族会議の必要性を考える寸劇も創った、子育てに関する創作劇、児童劇団の指導など、身近なところから、演劇が地域の中で新しいつながりの場になることを信じて手あたり次第に挑戦した。
ただ、いまだに沿岸部との交流は進められていない。どんな距離感で付き合えばよいのか、戸惑いが残る。気仙沼や南相馬に鑑賞型の公演を何度か持っていった。喜んではもらったが、交流を継続できていない。友人の石巻出身の俳優・芝原弘(演劇ユニット「コマイぬ」代表)は、よみ芝居『あの日からのみちのく怪談』や大震災の教訓伝承を目的とした『いのちのかたりつぎ』など、ダイレクトな交流から作品創作をしている。頭が下がる思いだ。
震災後、演劇で照射するモチーフがマキシムな問題から、すごく身近でミニマムな、近隣の人々と語り合えるような、ドメスティックな視点へと変わってきた感じがある。これは想像だが、戦後、各地で立ち上がった青年団演劇や労働者演劇のようなアマチュアリズムの盛りあがりに似ているのではないか。劇場での大掛かりな演劇から、東北という大地と地つづきのような演劇。大地に裸足で立つ、素朴で強靭な身体性を育む演劇づくりがどんどん生まれてくるのではという期待。30年前に石川と試みたテント芝居にもどりたくなった。
昨年からの新型コロナの影響もあり、最近こんなことをよく考えている。もっとシンプルな演劇があるはずだ。農村から生まれた田楽が神楽、狂言、能などと発展したように、私たちは再び、生活に根差した泥くさい芝居、野っ原に立ちたい気がしている。それは野外劇でもいい。被災地の風を感じながら芝居の場に集って酒を呑みながら話をしたい。そしてまだまだ先だろうが、被災地の皆さんと共同で演劇ができたらと夢見ている。
さて、「方丈の海」の稽古が昨年の12月からスタートした。
三陸沿岸部の小さな漁村に残る古いバラック映画館が舞台。自治体から忘れられた小さな入り江に住む家族(映画館主と妻と息子、居候の漁師兄妹)の5人のもとへ、津波跡地再開発の話が舞い込む。癒しのテーマパークならぬ「憎しみのテーマパーク構想」。パークの目玉は地震で海底から出現したカイコーなる半魚人。石川ファンタジーが満開だ。
被災の憐れみを一心に集めるカイコー効果で、被災地から怒りの炎を巻き上げようとする開発業者と興行師。逆に被災者意識を攻撃するヘイトの嵐、心優しき老いた妖精や社会的弱者の象徴でもある不思議な群声たちも登場し、劇は急展開する。こう書くと、すごいアングラ劇みたいですが、なかり人情劇です。
作者石川が「大震災から10年後にこんな社会になっていなければよいが……」という予言書ともいえる台本。当初、この作品が持つ怒りや憤りをどこにぶつけていいのかわからなかった。誰に向かってこの劇を手渡すのか。この悲惨な出来事を一次被災地(沿岸部・原発事故影響区域)と二次被災地(比較的被害が少なった市街地等)間で、自虐的な堂々巡りさせてしまう物語になりそうで怖かった。
実際多くのまちで、大なり小なりのいざこざは多い。マスコミは美談しか報じないが。台本冒頭のト書きの一部を引用しよう。
悲劇はそのあとにやってきた。
残った人間が悲劇の元になり、悲劇を生きる。
災厄は無情で滑稽な相貌を出現させる。
人間の心の奥深くに眠っていた制度や倫理への乖離が浮上してきた。
10年後の黙示録として、被災地で新しい分断や対立が起こるであろうといういやな予感が綴られている。
その予感が、外れていることを願うばかりだが、そうでもないのが悲しい。演劇の使命とは、何か? とにもかくにも物語構造の原点に立ち返り「役者は観客の代理人、劇世界を懸命に疑似体験すること。その身体性に観客は必ず感情移入するはず。堂々と物語ろう! この10年の経験値を駆使して挑もう! 圧倒的な身体の熱量がほしい」と役者たちに呼びかけた。
若い役者は、なんのことやらわからない? みたいな顔だったが、被災地と微妙な距離があるからこそ演じられる物語。この距離感は大切だと信じて、私自身肝を据えた。2月26日の仙台初日、拍手が止まなかった。40席の客席が熱を持っていた。コロナ禍の中でのご来場にこちらも感動した。
ところで、国は10年で復興の仕上げは終わらせるという態度だが、「まだまだ始まったばかりだろう?」というのが地元の意識だ。
近隣の人たちからの情報だが、大地をかさあげた集団移転用地は「限界集落」のようになっているところもあるという。高齢者が多いため市街地に移り住んでしまったからだ。住民の実態と自治体の思惑がずれている悲しい例だ。様々な支援が被災者に本当に届いてきたのか?
仙台市では、津波で浸水した広大な土地を「防災集団移転促進」なる事業で市が買い取り、その「跡地利活用」を、企画コンペを開き、民間団体に任せていく方向になっている。すでに決定している事業案では、レジャーランドや保養施設、マルシェやレストラン、ソーラー発電、花や野菜農園になる。安く買い上げ、転売しているような構造になってないか気がかりだ。
かたやお隣の名取市のように港町復興に力を注いでいるまちもある。垂直避難できる伝承記念建造物を活用し、海辺のまち再建に向かっているが、人が憩うまちづくりはこれからだ。
ところで、津波跡地を、近い将来、元住民に返還するような計画はないのだろうか。懐かしい漁村や入り江の風景が二度と戻らないと思うと泣けてくる。先人たちが危険だと知っていながら生活してきた海辺。その危険度よりも海の恵みを信じ、貧しくも、楽しく暮らしてきた東北人たちの姿が浮かぶ。
最後に、劇作家・石川裕人のことをもう少し紹介したい。
愛称はニュートン。子ども時代から遊び発明の天才だった。母の実家で夏休みに遊んだ記憶と体験が、劇創作の大きな財産になったとよく語っていた。
81年に結成した「十月劇場」は、杜の都仙台のシンボルロード定禅寺通りに24坪のアトリエ小劇場を構え、86年からはテント芝居も始めて、旅公演で全国をまわる。95年「十月劇場」を発展的に解散。「TheatreGroup“OCT/PASS”」を結成し、仙台の若手を育てた。
作品は、激しく権力を批判するような社会派戯曲もあるが、それはまれで、社会問題を扱いながらも独特な大人のファンタジーが多い。昭和のおやじギャグも満載、古代から超未来まで、時空を駆け回る壮大な発想。宮沢賢治の生まれ変わりと自称し、映画好きでもあった。
山形県庄内町の農家に生まれた私は、83年に十月劇場の「ねむれ巴里」で初めてニュートンに出会った。それはパリ人肉事件の犯人・佐川一政をモチーフにした鮮烈な芝居で、石川は裸の大将の芦屋雁之助のような格好で、本物の犬を連れて裸足で登場した。漬けものを食べながら観劇していたおばちゃんたちが一斉に沸いた。漬物工場でバイトしていたことをあとになって知った。
強烈なアングラ劇に、心奪われた私。多分あの大きな裸足に感動したのだ。
大地を踏みしめている、毘沙門天のような野太い足に東北魂を感じたからだ。
【編集部から】
論座では、東日本大震災と原発事故から10年を迎えるにあたり、関連するこれまでの論考の一部を「3.11アーカイブ」と題して、3月いっぱい、無料で公開いたします。たとえば、次のような論考を無料公開しています。
◆「福島三部作」で原発に揺れた町を描く(谷賢一)
◆震災8年、3つの視点への疑問(東野真和)
◆「語れなさ」を考える(瀬尾夏美)
この機会にぜひ、もういちどお読みください。詳細はこちらでご案内しています。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください