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一昔前の浪曲界が映像でよみがえる

元気な80代、90代のおおらかさと熱

玉川奈々福 浪曲師

武士の血を引く99歳の迫力

 10年前。2011年2月の浪曲定席木馬亭。

 その年4月に100歳のお誕生日を迎えられる予定の、木村若友師匠が舞台に立っておられました。

拡大木村若友=森幸一撮影

 初代木村友衛という大看板のお弟子さんで、99歳でも矍鑠(かくしゃく)として、毎月、木馬亭の定席に出演しておられました。

 ところが、その日の若友師匠は、少々風邪気味で、しんどそうに楽屋に入ってこられました。

 「奈々福さん、オレは今日、風邪ひいちまって。でも名前が出てるから出ないわけにゃあいかないから、挨拶だけして、おりてくっから、支度してくれるかい」

 若友師匠は、私か弟弟子の玉川太福さん、後輩の東家一太郎さん、そして曲師の沢村豊子師匠にしか、きものの後見をさせてくださいません。着替えの段取りがいいと、気持ちよく舞台がつとめられるのだそうです。だから私は若友師匠のお出番のときには、自分の出番でなくても極力木馬亭に行くようにしておりました。

 きものを大変丁寧にあつかわれ、いつも紋付をお召しになるのですが、その紋のところには、うすい和紙の「紋紙」を当てて、紋が汚れないようにしておられます。

 それを、若友師匠の呼吸に合わせて、肩に着せ掛け、帯を締めてさしあげ、袴の後見をします。

 着替えのお手伝いを終えると、若友師匠、ほっとされて、楽屋にあるお菓子を召し上がりました。

 浪曲師は……よく食べます。浪曲の楽屋は食べ物がたくさんあります。若友師匠は、お出番前にも、よく召し上がり、また人にも「食べなさい」と勧めてくださいます。

 明治生まれの若友師匠は、福島県のご出身。お父上は、二本松藩の剣術指南役だったそうで、武士の血を引いておられるせいか、本当に武士のようなたたずまいがありました。若友師匠が「よかろう」とおっしゃると、「はは~~~~っ!」と平伏したくなるような、迫力と気品を備えておられました。

 食べながらおしゃべりされているうちに……しんどそうだった若友師匠、少し元気が出てこられたご様子でした。

 「15分くらいはできっかな」

 そうして舞台に上がられた若友師匠。演題は十八番の「仙台の鬼夫婦」。

 主人公のお貞が、夫の仙三郎を薙刀で叩きのめす場面で、「やあっ!」という裂ぱくの気合。袖で聞いていた奈々福、のけぞりましたが、お客さんも、99歳の声にのけぞっていました。

 挨拶だけ→15分くらいはやれっかな→長講40分!!!

 芸人には、舞台がなによりの薬なようです。

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筆者

玉川奈々福

玉川奈々福(たまがわ・ななふく) 浪曲師

横浜市生まれ。出版社の編集者だった94年、たまたま新聞で浪曲教室のお知らせを見て、三味線を習い始め、翌年、玉川福太郎に入門。01年に曲師から浪曲師に転じ、06年、玉川奈々福の名披露目をする。04年に師匠である福太郎の「徹底天保水滸伝」連続公演をプロデュースして大成功させて以来、数々の公演を企画し、浪曲の魅力を広めてきた。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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