市瀬英俊(いちのせ・ひでとし) スポーツライター
1963年、東京都生まれ。千葉大学法経学部卒。「週刊プロレス」全日本プロレス担当記者等を経て、現在スポーツライター。著書に『夜の虹を架ける――四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」』(双葉社)、『ワールドプロレスリングの時代――金曜夜8時のワンダーランド』(朝日新聞出版)など。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
[下]「僕は何時も思って居ます。貴女と僕とは身分が違いすぎる」
トップレスラーとして活躍をするなか、力道山の娘との結婚の噂が流れた馬場。きっぱり否定したのは17歳と15歳で出会った「意中の人」へのメッセージだった――。元子は母親に馬場との結婚を反対されロサンゼルスへ渡る。遠距離恋愛のふたりは、膨大な量のエアメールで絆を深めていった。
「結婚の噂もあるが……」
「また、結婚の質問ですか。弱ったな、そういじめないでくださいよ」
取材陣の質問に対して、ジャイアント馬場は苦笑いを浮かべた。1964年7月23日、生まれ故郷の新潟県三条市で馬場がアジアタッグ王座の初防衛に成功した日、深夜の記者会見でのひとコマである。
当時26歳の馬場に持ち上がった結婚話。その発信源は一般週刊誌。「お相手」とされたのは百田千恵子。前年12月に不慮の死を遂げた力道山が生前、前妻との間に授かった女性だった。
仮にこの噂が現実のものとなれば、馬場は文字通り力道山の後継者としてお墨付きを得ることになる。
まんざら悪い話でもない。しかし、馬場は穏やかな口調ながら、キッパリと打ち消した。
「千恵子さんがかわいそうですよ。そういった事実はありません。意中の人が見つかったらすぐにでも発表しますよ」
否定の言葉は、この時点ですでに存在していた「意中の人」へのメッセージでもあった。
その人の名は伊藤元子。のちの馬場夫人である。馬場と元子はひっそりと、結婚を前提に交際を重ねていた。
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