中嶋 廣(なかじま・ひろし) 元トランスビュー代表
1953年生まれ。新卒で入社した筑摩書房はすぐに倒産。9年後、法蔵館へ移籍し、『季刊仏教』を編集しつつ、『上山春平』著作集や養老孟司『カミとヒトの解剖学』などを編集。2001年、トランスビューを設立し、池田晶子『14歳からの哲学』、森岡正博『無痛文明論』、島田裕巳『オウム』、小島毅『父が子に語る日本史』、チョムスキー『マニュファクチャリング・コンセント』などを手がける。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
第164回芥川賞を受賞した宇佐見りんの『推し、燃ゆ』(河出書房新社)は、文藝賞、三島由紀夫賞を受賞した第1作『かか』に続くものだ。
高校生の「あたし」は、推しの「作品も人もまるごと解釈し続けること」が生きがい。そのためにテレビ、ラジオその他で推しの発言を聞き取ったものは、20冊を超えるファイルに綴じられ、それをもとにブログもやっている。「あたし」は推しを推すことが生活の中心で、その背骨の部分は揺るがない。
何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。
そんなとき推しがファンを殴ったのだ。世間の非難はかぎりない。
引退試合に負けたときに夏が終わったなんて表現するけど、あたしはあの日から本当の夏が始まったように思う。
もう生半可には推せなかった。あたしは推し以外に目を向けまいと思う。
夏休みのバイトも居酒屋で、そのためだけに働いた。2学期が始まっても「あたし」は元には戻らなかった。教室で突っ伏すか、保健室で休んだ。「原級留置」と言われたのが高校2年の3月で、「留年しても同じ結果になるだろうから、と中退を決めた」。
「あたし」は何もしないわけにはいかないので、働く意思は見せた。でも本当は何もしない。「あたし」は推しを推すこと以外は、何もしたくないのだ。
ここで疑問が起こる。主人公は肉体または精神に、病を抱えている(ようなのだ)。そういうところが何か所かある。
あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。
これはまだはっきり病気と言えるかどうか。
次の場面は、深夜に母と姉が居間で話しているのを盗み聞きするところ。
「ごめんね、あかりのこと。負担かけて」
〔中略〕
「仕方ないよ」姉はぽつりと言った。
「あかりは何にも、できないんだから」
これではっきり病気だということがわかる。
つぎは父親と話をする場面。
「じゃあなに」涙声になった。
「働け、働けって。できないんだよ。病院で言われたの知らないの。あたし普通じゃないんだよ」
でも病気の内容はわからない。そして最後に決定的な記述がくる。