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いわき市久之浜町にて、原発事故からの10年

帰郷した劇作家、地域の移ろいを見つめて【上】

高木 達 劇作家・脚本家・演出家

 福島第1原発の事故現場から30キロのいわき市久之浜町。震災後、生まれ故郷のこの町に戻った劇作家、演出家の高木達さんが、2011年のあの日からの10年を振り返る。前編です。

2021.2.13 再びの強い揺れ、避難を急いだ

 突然、家中が悲鳴を上げた。

 布団から跳び起きたら、激しい揺れで体が支えられない。隣の妻に叫んで、横目で飼い猫のリアンを見ると逃げ出しそうだ。慌てて抱きかかえ、玄関に向かう。避難のために猫用キャリーバッグは常に玄関に置いてある。傍のショッピンングバスケット2カゴには冬物衣類と数日分の食料、パソコンと処方薬が詰めてある。我が家の避難グッズだ。

拡大2021年2月13日深夜に起きた地震の各地の震度
 バスケットは妻が、キャリーと仕事用バッグは僕が車まで運ぶ。15分で家を出る避難計画だ。ところが、猫がキャリーに入ろうとしない。3回目でやっと押し込み、出発したのが20分過ぎ。10年前の東日本大震災では20分過ぎに津波の第一波が到達した。今回は津波がない。それでも逃げようと思っていた、福島第1原子力発電所(1F)から少しでも遠くに。

 何度も予行演習を繰り返して最短の道を覚えた。目的地は郡山に近い“道の駅ひらた”、原発事故の時に避難した場所だ、

 いわき市久之浜町の家から60キロ離れている。広い駐車場に入ってテレビを点ける。午前0時40分、各地の地震被害情報と1Fの現状が繰り返し放送されている。現在点検中だが、モニタリングポスト(大気中の放射線量を測定する装置)に変化はないらしい。

 画面から顔を上げると、前の車の運転者の顔がフロントガラスに浮かび上がっている。テレビを見ているのだ。次々と車が入ってくる駐車場。10年前と同じだ。原発事故で20キロ圏内に避難指示が出た夜、僕も妹の家族と一緒に避難車で埋まったこの駐車場にいた。津波に家を壊され、放射能から追われた被災者だった。

 震災時の体験が呼び起されて心身の変調を訴える人がいるという。そんなこと僕には起こらないと思っていた。

 だが、数年前YouTubeで久之浜の津波映像を見つけた。河口から遡る津波が橋を越え、住宅地に流れ込む映像だ。

 泥水に追われた撮影者は坂の上へ逃げる。映像は束の間足元を捉え、再び住宅地に戻ると、そこにはもう家々がない、水面に屋根や瓦礫が一面に浮かんでいる。その瓦礫の上に実家の蔵が無傷で見える。だが、周囲から炎が立ち上り始めた。その生々しい紅蓮の火炎。この映像に出会った瞬間から、あの時の衝撃が、今まで隠れていた恐怖が、僕の襟髪を掴もうと手を伸ばしているような気がする。体中から立ち上る瘴気のような嫌な感じ、そう表現するしかない。

 そして、それは2011年3月12日の夜に繋がっていることに気付いた。

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筆者

高木 達

高木 達(たかぎ・とおる) 劇作家・脚本家・演出家

1950年福島県いわき市生まれ。劇団青年座所属。NHK-FMのオーディオドラマ『風の家』(1989年度イタリア放送協会賞)の脚本なども手掛ける。ストレートプレイからミュージカル、オペラと幅広い舞台を演出する。一般社団法人チームスマイル・いわきPIT劇場監督を務めながら、放射能汚染の現実を全国へ発信している。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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