丹野未雪(たんの・みゆき) 編集者、ライター
1975年、宮城県生まれ。ほとんど非正規雇用で出版業界を転々と渡り歩く。おもに文芸、音楽、社会の分野で、雑誌や書籍の編集、執筆、構成にたずさわる。著書に『あたらしい無職』(タバブックス)、編集した主な書籍に、小林カツ代著『小林カツ代の日常茶飯 食の思想』(河出書房新社)、高橋純子著『仕方ない帝国』(河出書房新社)など。趣味は音楽家のツアーについていくこと。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
「10年」という区切りがどこか勝手で空疎に響く
宮城県雄勝(おがつ)町にはじめて行ったのは1980年代半ばぐらいのことだ。石巻市内から車でおよそ60分。山沿いの細くうねる道が開けると、空の青さと同時に黒い家々が目に入って驚いた。入江が複雑に入り組むリアス式海岸ゆえ、多くの小さな湾と集落とを三陸海岸は抱えているけれど、そんな場所はほかになかった。
なぜ黒いのかというと、屋根や壁に、硯に使われる玄昌石を使っているからだ。雄勝は日本最大のスレート産地で、東京駅舎の屋根材はここで産出されたものなんだと地元の人は誇らしくいった。3・11を経てその風景はなくなった。
震災の前年に亡くなった祖父は、三陸海岸で海苔の養殖をなりわいにしていた。津波による甚大な被害によって、陸も海も地盤沈下し、様変わりしてしまった漁場や風景を知らずに旅立ってよかったさと、震災を運よく生きながらえた家族は、ふとした時に思い出して、誰にいうでもなくいう。
2020年6月、オープンしてまもない「雄勝硯伝統産業会館」、「雄勝観光物産交流館 おがつ・たなこや」を訪れた。両館は海辺のかさ上げされた高台の上に建てられていて、雄勝湾の狭く深い入江を一望することができる。
コバルトブルーの海とアスファルトや空き地との境目を、なぜ、と思うほど高い防潮堤がぐるりと縁取っている。高さは9・7メートル。穏やかな海を隠す巨大で分厚いスクリーンのように、町の中心部へとつづく約3キロメートルの防潮堤は、この土地に住む人の望みではないだろうなと直感的に思った。