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「セツ子=大竹しのぶ」に腰を抜かす

『つかこうへいのかけおち'83』④

長谷川康夫 演出家・脚本家

 1983年春、NHKの銀河テレビ小説『つかこうへいのかけおち'83』のリハーサルが始まった。〝口立て〟で台詞をつけてゆくつかこうへいに、25歳の大竹しのぶは……。(1回目2回目3回目

着々と固まる、脚本と共演者たち

 こうして『かけおち』の脚本作りが進む中、さらにつかは原作に大きな変更を加える。

 セツ子が康夫に〝かけおち〟を迫る理由が、明確に観客に伝えられたのだ。それはまったく原作にないピースだった。

 登場させたのは、北条家の商売上のしがらみで、セツ子が見合いせざるをえなくなった30過ぎの男である。

 若くして年商数十億という貿易会社を経営する彼は、セツ子の高校時代に彼女を知り、陰からじっと見守りながら、密かに想いを寄せて来た男という設定だ。女性と付き合ったこともなく、事業に命を懸け、その人間性も、社会的地位や資産も、康夫とは対極にある存在として、つかは描く。

 その男の出現にセツ子は舞い上がり、両親も揺れ始め、康夫との関係に微妙な亀裂が入り始める。ただし、男が婿養子に入ることなど絶対に不可能だ。

 そこでセツ子が彼への想いを振り払うため、ひねり出した手段が〝かけおち〟だった――と、この要素が、様変わりした『かけおち』という物語の芯となったのである。

 つかこうへいの手によって、原作とはまるで別物になっていくドラマ『かけおち』の脚本原稿は、その途中途中で、もともと僕がつかの原稿仕事をする場だった岩間多佳子の事務所に届けられた。

拡大㊤北村和夫、㊥松下砂稚子、㊦中原早苗
 NHKから来ているディレクターの松岡孝治がそこで読み、感想や意見などを返すというのが、一応の建て前だったが、つかがそんなものを素直に聞くはずもない。はなからそれは、初めて仕事する松岡の力量を確かめるための作業だということが、僕にはわかっていた。

 そして松岡は松岡で、そんなつかの目論みをうまくかわすかのような回答を寄こし、つまり無事、つかは彼を認めたようだった。

 そして、ドラマがいよいよ脚本の形になり、印刷台本となるとき、つかはそのタイトルにも手を加える。『かけおち'83』としたのだ。

 NHKでのリハーサルが行われたのは、4月末から5月にかけてではなかったか。そのあたりの記憶ははっきりしない。

 芝居の稽古場と同じような、つかの〝口立て〟によるリハーサルの中で、脚本に手を加えて行くのが前提だったのは、『つか版・忠臣蔵』のときと同じだったが、その期間はさらに長く、幾度かの中断を含めて、ひと月近くになったはずだ。

 そんなリハーサル前に、キャスティングはほぼ決定していた。

 大竹と僕の他、つかはかつての劇団の中から、平田満、酒井敏也、萩原流行を呼び寄せた。その他、セツ子の両親に北村和夫と松下砂稚子、京都の旅館の仲居に中原早苗という布陣だった。

 北村と松下はつかと縁のある文学座の重鎮だし、中原は『蒲田行進曲』の深作欣二監督夫人であるから、これもつかの希望だったと、僕はずっと思っていた。

 だが今になって松岡に確認すると、選んだのは彼で、三人共、その前に仕事をしたことがあり、皆、適役と思い、決めたという。この配役には、つかも無条件で喜んだと、松岡は嬉しげに教えてくれた。

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筆者

長谷川康夫

長谷川康夫(はせがわ・やすお) 演出家・脚本家

1953年生まれ。早稲田大学在学中、劇団「暫」でつかこうへいと出会い、『いつも心に太陽を』『広島に原爆を落とす日』などのつか作品に出演する。「劇団つかこうへい事務所」解散後は、劇作家、演出家として活動。92年以降は仕事の中心を映画に移し、『亡国のイージス』(2005年)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。近作に『起終点駅 ターミナル』(15年、脚本)、『あの頃、君を追いかけた』(18年、監督)、『空母いぶき』(19年、脚本)などがある。つかの評伝『つかこうへい正伝1968-1982』(15年、新潮社)で講談社ノンフィクション賞、新田次郎文学賞、AICT演劇評論賞を受賞した。20年6月に文庫化。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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