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故郷・福島巡行~緩慢な亡失の思いにとどめを刺されて

被災地点描――土地の記憶とともに振り返る、東日本大震災と原発事故

長岡義幸 フリーランス記者

 1年ほど出かけるのを控えていた郷里の福島に2月、常磐線の特急ひたちと普通列車を乗り継いで行ってきた。降りたのは、浪江駅だ。実家は南相馬市小高区(旧小高町)の海ばた、いわゆる“在”にあり、近所の人が“町”に行くと言えば、小高ではなく、距離的に近い浪江の市街地を指していた。

 私も便のいい浪江駅をいつも利用してきた。昨年(2020年)3月14日、最後の不通区間になっていた富岡・浪江駅間の復旧によって常磐線が全線開通し、1年遅れでようやく通しで常磐線に乗ることができたわけだ。

 でも、ウキウキ気分とはほど遠い。大熊・双葉駅間はもともと複線だったのに、片方の線路が剥がされていたのを車窓から確認した。昨年、大宮の鉄道博物館で開かれた「常磐線展」を見に行ったとき、単線化したのは貨物列車をもう走らせないという意味もあると、学芸員が説明した。では、鉄道路線としては格下げになったのかと尋ねると、「そうも言える」という答えだった。

 こんなことを思い出しながら浪江駅の改札を抜けようとすると、駅員がいない。無人駅になっていた。確かに格下げになってしまったかのようだ。

2020年3月に全線再開したJR常磐線の浪江駅前=福島県浪江町拡大2020年3月に全線再開したJR常磐線の浪江駅前=福島県浪江町

 駅周辺の景色は、いっそう寂しくなっていた。以前なら駅舎を出て北側の正面を眺めると商店や飲食店などが軒を連ねていた。だが、いまや建物のほうが少ない。更地に伸びた茶色の枯れ草の合間からは、200~300メートル先の国道114号線のあたりまで見通せた。

 駅前ロータリーの端にある旧国鉄バスの建物の1階で開店したカフェには、灯りが付いていなかった。コロナ禍で休業中らしい。浪江町役場のつくった最新の飲食店ガイド「なみえうまいもんマップ」には、なぜか店名が載っていない。浪江で会った人も存在を忘れていた。2018年の開店時には、私も利用したのに、もの悲しいばかりだ。

浪江駅(中央上)周辺の町中心部は、住宅や店舗などが解体され、砂利や山砂が敷かれた更地が広がっている=2019年3月12日午前、福島県浪江町、ドローンで20190312拡大2019年3月の浪江駅周辺。すでに更地が目立っていた

筆者

長岡義幸

長岡義幸(ながおか・よしゆき) フリーランス記者

1962年生まれ、福島県小高町(現・南相馬市)出身。国立福島工業高等専門学校工業化学科卒業、早稲田大学第二文学部3年編入学後、中退(抹籍)。出版業界紙『新文化』記者を経てフリーランスに。出版流通・出版の自由・子どもの権利・労働などが主な関心分野。著書に『「本を売る」という仕事――書店を歩く』(潮出版社)、『マンガはなぜ規制されるのか――「有害」をめぐる半世紀の攻防』(平凡社新書)、『出版と自由――周縁から見た出版産業』(出版メディアパル)ほか。震災・原発事故関連の共著書に『除染労働』(三一書房)、『復興なんて、してません――3・11から5度目の春。15人の“いま”』(第三書館)なども。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです