2021年03月15日
名匠リチャード・フライシャー監督の“呪われた傑作”、『マンディンゴ』(1975)が46年ぶりにリバイバル上映されている。カイル・オンストットの同名小説を原作に仰いだ必見作だが、アメリカ南北戦争(1861~65)の約20年前の南部ルイジアナのプランテーション(大農園)を舞台に、黒人奴隷とその所有者の白人をめぐる支配/被支配の残酷なドラマが、一片の感傷もなく過激に描かれる。
そのタッチは、ひたすら非情かつグロテスクだが、おそらくその救いのない作風ゆえ、『マンディンゴ』は公開当時、映画評論家ロジャー・エバートによって「人種差別的クズ〔映画〕だ」と切り捨てられ、ニューヨーク・タイムズのヴィンセント・キャンビーによって「最悪の映画」「下品の一言」と酷評された。
しかし、『マンディンゴ』を虚心に観れば明らかだが、これはけっして黒人差別を助長し奴隷制度を礼賛するような、レイシズム(人種主義)的・白人至上主義的な映画ではない。また、グロテスクな場面を笑って楽しむ猟奇的なゲテモノ映画でもない。それどころか本作は、告発調の社会派映画とはまったく異なる視点から、黒人差別や奴隷制度を高度な手法で――メッセージや糾弾ではなく、描写やシチュエーションそのものによって――アイロニカルに批判し、白人たちにリアルで醜悪な自画像を突きつけたのだ。大ヒットしたにもかかわらず、『マンディンゴ』がリベラル派の批評家にさえ拒絶され、長らく黙殺されてきたゆえんである。
まず指摘すべきは、白人の登場人物たちが、例外なくネガティブに造形されている点だ。よって観客は、彼、彼女らのいずれに対しても、まったく感情移入できない。
すなわち、当時は公然と行われていたことだが、奴隷主の白人は黒人を奴隷として売買し、家畜のように使役し、あるいは性の道具(セックス・スレイブ/性奴隷)、ないし種付け奴隷として扱い、生まれた混血の子供は奴隷として売り払った(奴隷同士の「交配」も行われたが、外国からの黒人奴隷の輸入が禁止されたため、奴隷の生産/生殖工場を兼ねるようになったプランテーションは、文字どおりの“奴隷牧場”であった)。
さらに白人の奴隷主は、反抗的な黒人に逃亡奴隷(「R(Runner)」)の烙印を押したり、彼らを縛り首にしたり、はたまたカネを賭けて奴隷同士を格闘させる見世物に興じたりした。そうした白人たちの醜態を、フライシャーは容赦なく描き出す。
リウマチを子供にうつして治すという、その怪しげな治療法をウォーレンに勧めたのは、これまた狂信的な黒人差別主義者の獣医、ドク・レッドフィールド(ロイ・プール)だったが、当時は黒人の病気は獣医が診ていたという。
またウォーレンの一人息子ハモンド(ペリー・キング)は、足に障害をもつ、父親に比べれば気弱で屈折した青年だったが、次第に残忍で嫉妬深い性格をあらわにする。ハモンドは当時の慣習により黒人娘ビッグ・パール(レダ・ワイアット)と関係をもっていたが、農園の経営を父親から任され、白人の妻を娶(めと)ることになり、叔父のウッドフォード少佐の娘、ブランチ(スーザン・ジョージ)と結婚する。
だが、ハモンドは初夜でブランチが処女でないことを知る(その相手はベン・マスターズ扮する実兄のチャールズだったが、そもそもハモンドとブランチもいとこ同士である)。嫉妬に狂ったハモンドは、
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