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『世界のひきこもり』『家族と国家は共謀する』が映す家族という無法地帯

ブラックホールだからこそ見えない暴力

佐藤美奈子 編集者・批評家

「真論」が気づかせる、家族関係のもたらす傷

 さて、こうして切実かつ豊かな「真論」に触れた後、いかにも日本的な現象だろうと思った、冒頭で述べた私自身の「ひきこもり」へのイメージは確かに崩された。日本社会「だから」、いわゆる「ひきこもり」が起こりやすいわけではない。そのことが本書から感じられる。

 「ひきこもりとは、近代的な個人主義社会に典型的な、社会における自己実現という過度な圧力に反応して活性化される、人間の対応戦略である」。これは本書で紹介されるイタリアの社会心理学者マルコ・クレパルディ氏による「ひきこもり」の定義だが、頷けるものがある。この定義に説得力を感じるのだから、「ひきこもり」が日本に特有の現象でない事実も補強される。

 ただ、この定義だけでは説明できない「何か」が、「ひきこもり」現象の背後に蠢くのを感じる。本書を読み終えたあと、「ひきこもり」の人々の声を通してほぼ例外なく感じられたのは、彼らが抱く深くて大きい絶望(感)だ。深い絶望は、たしかに「社会における自己実現という過度な圧力」に根差すのかもしれない。しかしそれと同等、あるいはより密接に絶望(感)とかかわるのは、まさに著者のぼそっと氏による告白が示すような、本人と家族との関係だ、との思いが強まるのだ。

 著者自身がマルコ氏との対談のなかで、家族が持つ「構造的な病理」と「ひきこもり」との結びつきに水を向ける。ぼそっと氏は「私の主体を剥奪し」たのは母だと語り、出会って来た世界の「ひきこもり」の人々のなかにも、自分と同じ家族関係における病理を発見する(言うまでもないが、「ひきこもり」の人すべてがそうだ、などと著者が主張しているのではない)。

ぼそっと池井多拡大ぼそっと池井多

 最も痛切に響いたのは、著者が経歴を述べる際に現われた母親への言及だ。ぼそっと氏の「ひきこもり」は、23歳時に始まった。就職活動では誰もが知る「優良企業」への内定が決まったが、機を一にして部屋から出られなくなった。

 その後、「積極的に自殺しなくても死ねることに期待し」て、大学を卒業せずアフリカへ向かう。30歳手前まで、海外で「そとこもり」(国外の社会で「ひきこもる」こと)を続けるが、帰国後は海外経験をノンフィクション作品として発表することを勧められる。某賞の次点も獲得し「国際ジャーナリスト」の肩書で4年ほど活動するのだが、やがて「ガチこもり」(「ひきこもり」の重い状態)に陥る。「ガチこもり」に至る様子を、著者はこう説明する。

 「母親に虐待されて育ってきた私の中には、幼いころからたくさんの傷が膿んで埋もれている。私にとって言葉とは、それらの膿を深くから掻き出し、外へ放り出す貴重なツールだった。そのツールをよく知らない国の政治や経済へ使ってしまうと、心の膿がたまっていき、どうにも重たくて仕方がない。~(略)~魂に差し迫っているわけでもない遠国の出来事を、国際ジャーナリストとしてさも重大事件であるかのように書く仕事は、私の心に逆らう作業であった」と。

 別の箇所では、こうも述べる。「なぜ私がこのようであるかを説明するもっともらしい理由を、しきりに社会などといった外側に見つけ出そうとしていました。しかし、それなりに歳をとってきて、私の中の『母問題』にメスを入れることが、次第にタブーではなくなってきました。すると、『母問題』こそが、三〇年以上もひきこもりをやっている私がなぜこのようであるかを説明する最大の要因であることが深く自覚されてきたのです」。

 そして、「『ひきこもりになるのは母子関係が悪いから』などと短絡的に言うつもりはありません」と断った上で、「(「ひきこもり」の人々の)『多くの人間関係を持たない』という関係性の持ち方には、母との関係性が何かしら反映されているのではないか、とも私は考えているのです」と語る。

 つまり著者の言葉は、家族関係(彼の場合は主に母との関係)に注目する、あるいはそれを自覚すること無しに「ひきこもり」状態の説明はできない、という事実を示している。著者のケースでは、社会の圧力から受ける傷より深い場所で、母との関係で負った傷が口を開けており、それが体の反応(「ガチこもり」)をもたらした様子が見えてくるのだ。ある意味でショッキングな、著者と父親との関係も本書で述べられるが、その関係も、母親の存在抜きには成立しないことがわかるものである。

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筆者

佐藤美奈子

佐藤美奈子(さとう・みなこ) 編集者・批評家

1972年生まれ。書評紙「図書新聞」で記者・編集者をつとめた後、2008年よりフリーランスに。現在、講談社などで書籍編集・ライターの仕事をし、光文社古典新訳文庫で編集スタッフをつとめる。自身の読書の上では吉田一穂、田村隆一といった詩人の存在が大きい。「死と死者の文学」を統一テーマに「古井由吉論」「いとうせいこう・古川日出男論」(各100枚)を『エディターシップ』2、3号に発表。