梁・永山聡子(やん・ながやま・さとこ) 社会学、ジェンダー・フェミニズム研究、社会運動論
立教大学兼任講師、一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、同大学院博士後期課程。特定NPO法人アジア女性資料センター理事。ふぇみ・ゼミ運営委員。共著に『私たちの「戦う姫、働く少女」』(堀之内出版)、『社会学理論のプラクティス』(くんぷる)。HP:https://researchmap.jp/HSRN
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
幻想にはばまれる日本社会のジェンダー平等への道
「報道ステーションのCMを見てどう思った?」(筆者)
「う? なんですかそれ?」(20歳代女性)
「ほら、あれだよ、炎上したCM。俺は〇〇(女性政治家)好きじゃないけどジェンダーがどうのこうのって」(40歳代男性)
「う? 知らないです」(20歳代女性)
「〇〇さん(20歳代女性)のような世代にみてほしいっていうCMだよ」(筆者)
「いやー、興味ないですね」(20歳代女性)
緊急事態宣言があけてすぐ、飲食店の友人の「悲鳴」を見かねて、東京のオフィスエリア近くの居酒屋で中小企業の会社員たち(高卒・大卒・理系・文系混在)が店を貸し切りにしていた。
筆者は取材ではなく友人として聞いてみた。40代男性は、CMを批判した女性政治家を「過剰反応。意図をわかってない」と左派陣営を軽蔑し、20代女性は「報道ステーション? そもそもニュース見ないし。子ども連れてくる? うー、意味よくわからない」と言って、すぐに、隣の同僚とバラエティ番組の話をしだした。40代男性は、普段は「ふつう」に日本社会をわたり歩き、女性蔑視的思考を普通に内面化している人だ。現代のスタンダードである。明確に「おんなは〇〇だ!」というタイプではない。20代女性も同様である。
この会話を聞いて「あ、やっぱりな」と実感した。その「やっぱり」とは、
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