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田中邦衛さんは、大スターの作品をぐっと面白くする俳優だった

ペリー荻野 時代劇研究家

 田中邦衛さんが亡くなった。最後まで前向きに生き、家族に見守られながらの旅立ちであったという。よき家庭人であった田中さんの人柄が伝わってくる。

 田中さんの出演作といえば、最初に思い浮かぶのが国民的ドラマとして親しまれた「北の国から」(1981年~、フジテレビ系)だ。訃報を伝えたニュースの街頭インタビューでも多くの人が、「北の国から」の田中さんへの思いを語っていた。北海道・富良野の大自然の中で、ふたりのこどもを必死に育てる寡黙な父・黒板五郎。挫折したり、道に迷うこどもたちをいつも受け入れ、味方になる。不器用だがあったかい。こんな五郎は、田中さんだからできたんだなと改めて思う。

俳優・田中邦衛さん(1932-2021)俳優・田中邦衛さん(1932-2021)

 朴訥で穏やかな役柄の印象も強いが、田中さんは、アクションもこなす俳優でもあった。特に時代劇では、「怒れる武闘派」といえる役が多い。

 その片鱗がうかがえるのが、黒澤明監督の映画『椿三十郎』(62年)だ。

 田中さんは、藩上層部の不正を正そうと躍起になる若侍集団のひとり保川邦衛役。敵方は人質をとって若侍たちを脅す。そこにふらりと現れた浪人・椿三十郎(三船敏郎)が、彼らを助けようとするのだが、保川は三十郎に激しく反発する。62年の公開当時、田中さんは29歳。70年代の終わりにこの映画を初めて観た10代の私は、モノクロ画面の中でカッカする若侍が田中さんだと最初は気がつかず、あの個性的な声が響いて「若い!」と当たり前のことに驚いたのだった。

キャラクターが違う「岡っ引どぶ」と「北の国から」を同時期に

 その後、74年の映画『ルパン三世 念力珍作戦』(主演・目黒祐樹)で次元大介をコミカルに演じたのも忘れがたいが、びっくりしたのは、75年のドラマ「長崎犯科帳」(日本テレビ系)だった。

 主人公は、許せぬ悪を裏で成敗する覆面闇奉行になるという型破りな長崎奉行・平松忠四郎(萬屋錦之介)。その片腕が、田中さん演じる蘭方医・木暮良順だ。ふだんは長崎の町をぶらぶらしているぐうたら医者良順だが、悪事の話を聞くとカーッとなり、ここ一番のときには、良順オリジナル“メスボーガン”を発射! 悪を倒すのである。

 続く「江戸の鷹 御用部屋犯科帖」(78年、テレビ朝日系)では、将軍直属の「お鷹組」の一員であった。組のリーダー内山勘兵衛は三船敏郎。本物の鷹も出演しているせいか、タイトルも「地獄谷」とか「魔の峠」とか、江戸の狭い町よりは大空が広がる郊外で大暴れする方向に。田中さん演ずる風見鉄平も鷹とともに砂ぼこりをあげての熱演となった。

俳優の田中邦衛さん。クセっ毛なのでいつも短く刈っている1968田中邦衛さんは、クセっ毛のため頭髪はいつも短く刈っていた=1968年2月

 そして、田中さんのアクション時代劇の代表作が、

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