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宮崎緑さんが3連続で皇室関連会議のメンバー に選ばれる理由

矢部万紀子 コラムニスト

「委員」に選ばれ続ける人

 その1の答えは、SNSで話題になっただけにすぐに出た。報道を総合すると、宮崎さんは2001年から鹿児島県奄美パーク・田中一村記念美術館の館長をしていて大島紬はその縁、「着物プラス長い羽織」は同パークの式典でもおなじみの「宮崎スタイル」──だそうだ。となれば、3月23日の着物も大島紬で正解だろう。

2003年 天皇、皇后両陛下 鹿児島県訪問 奄美パーク
写真説明 天皇、皇后両陛下を出迎える鹿児島県奄美パークの宮崎緑園長 2003年11月17日 
被写体所在地 鹿児島県笠利町(現・奄美市)の奄美パークで 拡大天皇、皇后両陛下(当時)を出迎える鹿児島県奄美パークの宮崎緑園長=2003年11月17日、鹿児島県笠利町(現・奄美市)

 次に「打率10割」だが、実は彼女の高打率、「皇室関連」に限ってのことではない。直近では21年2月22日、「国家公安委員会委員」になった。19年4月11日からは、「衆議院議員選挙区確定審議会委員」を務めている。衆院小選挙区の区割りを改定する必要があれば、案を作り首相に勧告する役目だそうだ。

 千葉商科大学のホームページ「教員一覧」で宮崎さんを見る。「研究者情報」を構成する要素の中で、突出して多いのが「学会及び社会における活動」だ。30あるのだが、そのうち一つをのぞいてすべて「社会における活動」で、1984年4月から86年3月までの「国際青年年事業推進委員会(総務庁)委員」を務めたという記述から始まり、2019年4月の「元号に関する有識者会議構成員」までが並ぶ。うち8つに省庁名が入っていて、その他にも「税制調査会委員(13〜16年)」や「東京都教育委員会委員(15〜21年)」などなど、委員、委員、委員、理事、理事、時々審査委員、そんな調子だ。

 宮崎さんを世に

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筆者

矢部万紀子

矢部万紀子(やべ・まきこ) コラムニスト

1961年生まれ。83年、朝日新聞社に入社。宇都宮支局、学芸部を経て、週刊誌「アエラ」の創刊メンバーに。その後、経済部、「週刊朝日」などで記者をし、「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理、書籍編集部長などをつとめる。「週刊朝日」時代に担当したコラムが松本人志著『遺書』『松本』となり、ミリオンセラーになる。2011年4月、いきいき株式会社(現「株式会社ハルメク」)に入社、同年6月から2017年7月まで、50代からの女性のための月刊生活情報誌「いきいき」(現「ハルメク」)編集長をつとめた後、退社、フリーランスに。著書に『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)、『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』(ちくま新書)。最新刊に『雅子さまの笑顔――生きづらさを超えて』(幻冬舎新書)

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