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最も恐ろしい敵は、いつも現実の世界にいる

【8】「007 ロシアより愛をこめて」の原作を読んでみた

中川文人 作家

 イギリスのスパイ、ジェームズ・ボンドが活躍する007シリーズ。その第1作『ドクター・ノオ』が公開されたのは1963年である。それから半世紀以上経つというのに、このシリーズはまだ続いている。いったい何人が007を観たのか、と思って少し調べてみたら、三代目ジェームズ・ボンドのロジャー・ムーアの著書『BOND on BOND』にこう書いてあった。

 「世界で最も長期にわたっているこのシリーズを、少なくとも1本は観たことがあるという人は、世界の人口の半数以上にのぼるらしい」

 ちなみに、今日の世界人口は約78億人である。

シリーズ最高傑作は何か?

 映画007シリーズには20本以上の作品があるが、その中で最も多くの人に観られた作品は何か、についても調べてみたが、これはわからなかった。

 人気ランキングもいろいろ見たが、初代ボンド、ショーン・コネリー主演のものが上位を占めているものもあれば、六代目ボンド、ダニエル・クレイグ主演の『カジノ・ロワイヤル』や『スペクター』が上位に入っているものもあり、どれが一番人気なのかもはっきりしなかった。

 が、原作の最高傑作ははっきりしていた。ジェームズ・ボンドの生みの親イアン・フレミングは、ボンドの登場する長編小説12作と短編集2冊を残したが、この小説007シリーズの中では第5作の『ロシアから愛をこめて』(映画では『ロシアより愛をこめて』)が最高傑作である。

 なぜ、そう言い切れるかというと、創元推理文庫の『ロシアから愛をこめて』の裏表紙に「シリーズ最高峰の傑作」と書いてあるからだ。版元さんが「これが最高!」と言っているのだから間違いないだろう。

 しかし、なぜ、この作品が最高なのかについての説明はない。いったい、この作品の何がいいのか、他の作品とはどう違うのか、その謎を解くために、『ロシアから愛をこめて』を読んでみた。

イラスト・斉田直世

ボンド以上に華麗な男

 イギリスには「スパイ」の経歴を持つ作家が多い。スパイ小説の大家ジョン・ル・カレはもちろんだが、グレアム・グリーンやサマセット・モームも元スパイである。そして、世界で最も有名なスパイ小説、007シリーズの著者イアン・フレミングも元スパイの作家である。

 イアン・フレミングは1908年5月28日、下院議員の次男としてロンドンに生まれた。父方の祖父は銀行業を営む億万長者、母方はランカスター王家の子孫という、目もくらむような上流階級の出身である。

イアン・フレミング=1962年11月27日、東京・ホテルオークラ

 さて、イギリスに元スパイの作家が多いのは偶然ではない。もともとジャーナリストや作家だった人がスパイになるから、元スパイ作家が増えるのである。

 情報機関は国家機密を扱う。だから、普通は国家への忠誠心の高い軍人や警察官から人材を探す。が、イギリス人はジャーナリストや作家などから人材を探す。「情報機関に必要なのは想像力に富んだありきたりでない人材である」というイギリス特有のスパイ哲学がそうさせるのである。

 フレミングは1939年7月26日、ドイツ軍がポーランドに侵攻する約一ヶ月前にイギリスの情報機関の一つ、海軍情報部に入るのだが、海軍情報部がフレミングに目をつけたのも、通信社や証券会社を渡り歩いていた彼の経歴が「スパイ向き」だったからだ。

 実際、フレミングはスパイに向いていたようで、ジェームズ・ボンドの上司Mのモデルとなった人物の伝記を書いた伝記作家アンソニー・マスターズは著書『スパイだったスパイ小説家たち』にこう書いている。

 「海軍情報部におけるイアン・フレミングの冒険は、彼の小説の主人公であるジェームズ・ボンドが数多い作品のなかで行った冒険よりもはるかにエキサイティングであり、彼が用いた戦略は快楽主義者のボンドには及びもつかぬほど巧妙なものだった」

 戦後、海軍情報部長を勤めたサー・ノーマン・デニング提督もフレミングをこう讃えている。

 「イアンは、すばらしい天賦の才と、想像力と、人に好かれる才能の持ち主だった。彼は海軍省のありきたりの仕事には役に立たなかっただろうが、この仕事にはまさにうってつけだった。真に必要とあれば、だれが相手でも、あるいはどんな問題でも処理することができた。」

 スパイはフレミングの天職だったのだ。

 しかし、フレミングは

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