メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

「レコメンド」が生み出す快楽の不安

「不快」と対峙することで生まれるもの

天野千尋 映画監督

AIが選んだプレイリストの心地よさ

 今更ながら衝撃を受けたことがあった。

 その日、仕事で良いことがあり朗らかな気分で夕暮れの道を家に向かっていた。

Tysovska Nina/shutterstock.com
 軽い足取りで歩いていると音楽を聴きたくなり、音楽アプリを立ち上げて、アプリが私にレコメンドするプレイリストを何気なく再生し始めた。そこで、のほほんとしていた頭をガツンと殴られるような驚きがあったのだ。

 何に驚いたのかというと、最新のレコメンドのクオリティだ。

 というのもここ数年、私は音楽ストリーミングサービスのサブスクリプションにはずっと加入しているものの、レコメンド機能を何となく拒否してきた。別に断固たる意思があってのことではないけれど、心のどこかで「何となくAIに自分の好みの分析をされたくない」とアナログ人間の性が働いていたからだった。意味もなく頑なになり、あえて自分で作ったプレイリストを聴き続けたり、一つのアルバムを通して、という昔ながらの聴き方を延々と続けていた。

 しかし、数年ぶりに何の気なしに聴いたレコメンドプレイリストは、信じられないくらい自分の心と体にベストフィットしていた。

 単に私の好みに合っているだけじゃない。この宵の時間に一人浮かれ気分で家まで歩いている私、という状況含めた設定にピッタリなのだった(たまたまかもしれないが)。

 「あなたが好きなこのアーティストの中でも、今はあの曲よりもこの曲でしょう? その次はこういう感じでしょう、この順番でしょう、分かってるんだよあなたの心は」と見透かされているような心持ちで、ただただびっくりした。

 永遠にこの空間に浸ってゆらゆら歩き続けていたい。こんな快楽をみすみす逃していたなんて。愚かだった。最新テクノロジーを無下に拒んできた数年間を悔やんだ。

湧いてきた微かな違和感

stoatphoto/shutterstock.com

 しかしそうしてしばらく聴いているうちに、微かな違和感が湧いてきた。

 つまり、私が何ひとつ考えたり動いたりしなくても、欲しいものだけが自動で与えられる。最適にレコメンドされたぬるま湯にずっと浸っていられる。それって何だか不気味じゃないか? そんな状態で生きていて大丈夫なんだっけ? と、ふと考えてしまった。

・・・ログインして読む
(残り:約2014文字/本文:約2970文字)