前田和男(まえだ・かずお) 翻訳家・ノンフィクション作家
1947年生まれ。東京大学農学部卒。翻訳家・ノンフィクション作家。著作に『選挙参謀』(太田出版)『民主党政権への伏流』(ポット出版)『男はなぜ化粧をしたがるのか』(集英社新書)『足元の革命』(新潮新書)、訳書にI・ベルイマン『ある結婚の風景』(ヘラルド出版)T・イーグルトン『悪とはなにか』(ビジネス社)など多数。路上観察学会事務局をつとめる。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
【35】小椋佳「揺れる、まなざし」
先の戦争から75年、日本の歌謡曲は、戦争からもっとも遠い存在であり続けていると思われがちだが、それは大いなる誤解である。
実は、戦後歌謡界では、歌を武器に替えた戦争が幾度も起き、いまも時に散発的だが戦われている。それが勃発するのは、コマーシャルソングがキャンペーンソングに転化したときで、武器の進化が戦争を誘発するという「歴史の法則」を興味深くも踏襲している。
唄:小椋佳「揺れる、まなざし」
時:1976(昭和51)年
作詞・作曲:小椋佳
場所:東京都
コマーシャルソングであるうちは商品を宣伝するための商戦であり、「小競り合い」にすぎない。ところが一段上のキャンペーンソングとなると、本格的な全面戦へとレベルアップする。テレビCMや広告、駅頭ポスターはもちろん、時には協賛映画を製作するなど社運をかけた全方位の総力戦となるのである。
そして、その主力兵器であるキャンペーンソングが炸裂することによって、しばしば歌謡界は活性化される。これまた戦争は景気を刺激するという「歴史の法則」を興味深くも踏襲している。
その草分け的事例が、1957(昭和32)年にリリースされた「有楽町で逢いましょう」(作詞・佐伯孝夫、作曲・吉田正、歌・フランク永井)である。この曲は、有楽町駅前にあった某大手新聞社の跡地に関西の有力百貨店が出店するにあたって準備された「宣戦布告」の唄だったが、その仕掛け方が、戦争が終わって10余年後の当時としては空前絶後であった。
発売前にテレビで同名の歌番組をスタート、7月にリリースした後は、同名の小説を週刊誌で連載開始、さらに翌年には京マチ子と菅原謙二という大映の看板スターを起用する本格的映画を製作。これにより、レコードは年をまたいでダントツの1位を売り上げ、“低音の魅力”の代名詞をもつ戦後歌謡界を代表する歌手をデビューさせて、歌謡界は大いに活性化されたのである。
その後は、1967(昭和42)年の佐良直美による「世界は二人のために」(明治製菓アルファチョコ)、1972(昭和47)年のBUZZによる「ケンとメリー」(日産スカイライン)などがヒットチャート入りするが、それらはいずれも単発の「宣伝商材」のコマーシャルソングにすぎず、歌謡界に戦争モードをもたらす事態には至らなかった。
ところが1970年代後半になるや、販売促進活動の一要素にすぎないコマーシャルソングがにわかに主力兵器であるキャンペーンソングに転化、それも散発ではなく続発。しかも、女性たちの化粧という、平和のシンボルとされてきた「聖地」が「戦場」になったという点においても、有楽町のデパートの「お披露目曲」と比べて、なんとも逆説的かつ衝撃的であった。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?