「セルフレジを使っていただきたいんですが……」
コロナ禍の自粛生活も2年目に突入した、とある朝、毎日のささやかな楽しみとなってきていたのは、朝の散歩の途中のコンビニでいただく1杯のコーヒーだった。そのコーヒーをいつものように買おうとしたところ、いつもとても優しい物言いの女性店長さんから冒頭のように声をかけられた。
「使っていただけないと、セルフレジの機械が撤去されてしまうんです……」と困惑されたお顔を見ると、「嫌だ」とはとても言えない。その店長さんには以前、それこそコーヒーマシンの近くに財布の入った──つまりは、免許証やクレジットカード、銀行カード一式が入った──バッグを置き忘れたときに、そのバッグを見つけて確保してもらったときの御恩がある。
私「バーコードがないコーヒーは使えないのかと思ってました」
店長「いえ、大丈夫なんですよ」
私「そうですか、わかりました」
翌朝、初めてセルフレジに触ることとなった。使い方が全くわからない私に、店長さんは横について、一緒に使い方──どのボタンを押せばよいか──を指南してくださった。
「あー、いつものレジはこうなっているんだな」。心の中でそう思った。
要するにレジ打ちの部分をこれからは「私が」やることになるのだ。

すっかり普及したコンビニのセルフレジ
その翌日、レジのボタン押しのスピードはまだモタモタしているが、一人で全部のステップを行うことができた。店長さんは「使ってくださって、ありがとうございます」と嬉しそうに言ってくださった。それで私も「よかったな」と思った。
その後、店長さんと大体その時間にいるバイトの男子学生風の二人は、だんだん私が来店してもレジには戻っては来なくなった。
あるときは、二人でおしゃべりをしていて、私は一人でレジ打ちをしてコーヒーを入れた。
それまでのようにレジにコーヒーカップを持っていって、お金を払いながらスモールトークをするという楽しい時間はなくなった。そして、思い出されるのは、高校性のときに感じた「あの」違和感だ。