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必見! エリック・ロメール特集(上)──恋愛喜劇の極上の旨味

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

 仏ヌーヴェル・ヴァーグ(“新しい波”)の立役者の一人であり、軽妙でシニカルな恋愛喜劇の名手、エリック・ロメール監督(1920~2010)。なんと彼の初期の長編5本と中短編8本が、東京・渋谷のBunkamuraル・シネマで一挙上映される!

 すべて必見作だが、本稿では(上)(下)にわたり、とくに私の偏愛する「六つの教訓話」中の4作品に焦点を当て、そのほかの上映作品には<付記>としてコメントしたい(色恋が生きがいであり、人生最大の関心事であるロメールの登場人物を前にすると、われわれ日本人は少々たじろぐが、コロナ禍の今、ロメール映画はオリンピックより何倍も人を元気づけるだろう)。

 なおロメールは、他のヌーヴェル・ヴァーグの面々──ゴダール、トリュフォー、シャブロルら──より年長ながら、彼らに比べて遅いスタートを切った監督だが、『獅子座』(1959、後出)で長編デビューする以前(1950年代)に多くの短編を撮っていた。

エリック・ロメール監督エリック・ロメール=2008年

『モンソーのパン屋の女の子』(1962、「六つの教訓話」第1話、短編、モノクロ)

『モンソーのパン屋の女の子』『モンソーのパン屋の女の子』 ©Eric Rohmer/LES FILMS DU LOSANGE

モノローグによる心理表現の妙

 ヌーヴェル・ヴァーグならではのパリの鮮烈な街頭撮影に始まる短編だが、23分間にこれほどの映画的豊饒さが詰まっていることに、何度観ても驚きを禁じえない(ロメール映画のエッセンスが凝縮された傑作!)。

 お話はいかにもロメールらしい、シンプルだが機知に富んだ恋愛コントだ。──法学部生の主人公「ぼく」(バルベ・シュレーデル)は、パリのモンソー街でしばしば見かけるブロンド美女のシルヴィ(ミシェル・ジラルドン)に声をかけ、お茶に誘うがやんわりと断られる。その後、シルヴィへの想いをつのらせた「ぼく」は、彼女に再会すべく、半径150メートルくらいのモンソー界隈を歩き回る。

 その“市街戦”の様子は、「ぼく」の1人称ナレーション(内的モノローグ/独白:声はベルトラン・タヴェルニエ)に伴奏されて、滑稽かつサスペンスフルに──しかしロメール独特の淡々としたタッチで──描かれる。

 そして、この「ぼく」の<モノローグ/画面外の声>こそは、本作の、ひいては初期ロメール映画の肝のひとつだ。というのも、他の登場人物と同じく、心の動きをほとんど顔に出さない「ぼく」の内心が、このモノローグによってつぶさに観客に伝わり、それによって観客は、「ぼく」と秘密を共有する共犯者となるからだ(こうした心理的サスペンスは、TVドラマふうの大仰な心理的演技では損なわれてしまうが、くだんのモノローグは、画面に映る「ぼく」の振る舞いと「ぼく」の内心とのズレ、乖離──つまり本心と言葉が裏腹であること──をも明らかにするので、サスペンスや滑稽さはいや増す)。じつに巧みな<声>の技法だが、セリフがモノローグに切り替わる絶妙な瞬間も見(聴き)逃せない。

<偶然>というロメール的モチーフ

 もうひとつ、この短編のポイントは、<偶然/賭け/運・不運>というロメール的モチーフだが、前述のように「ぼく」は、モンソー街で見初めたシルヴィに、なんとか再会しようと街を歩き回る。つまり、「偶然」を装いシルヴィと出会うために、もっといえば、彼女と再会する「偶然」を演出するために、である(後述するように、偶然が人間に幸運をもたらすのは神の恩寵であるという、17世紀の哲学者・数学者であるパスカル(仏)の考えにロメールは影響を受けている)。

 そして、定点観測か、あるいは歩き回って“捜索範囲”を広げるべきか、などと独白しながら(笑)、「ぼく」はある迂回をする。立ち寄った交差点近くのパン屋で働いている、あまりパッとしない容貌の女の子、ジャクリーヌ(クローディーヌ・スブリエ)を、ちょっとした気まぐれから口説こうとするのだが、その場面での「ぼく」の屈折した内省(モノローグ)が変におかしい──「パン屋の娘が私に気があるのはすぐに分かった。自惚れを承知で言えば、モテるのは当然と思っていた〔!〕。だが彼女はタイプではない。シルヴィの方が数段すばらしい。彼女への想いがあったから、パン屋の娘の“誘い”にも軽く乗れたのだし、その方がかえって気分よく振る舞えた」。……などと心の中でつぶやきながらも、結局「ぼく」はある倫理的な(?)理由から、ジャクリーヌを口説くことを思いとどまる。

 その功徳によってか(笑)、やがて「ぼく」は念願かなってシルヴィに再会するが、そこからアッと驚くラストへの急展開は、ロメールの語りの至芸が冴えわたる見事なシークエンスだ。

 それにしても、16ミリカメラが記録した(50年以上も前の)モンソー界隈の街並み、市場、カフェ、地下鉄駅の昇降口、大時計などのモノクロ映像の、なんという鮮度の高さ! カメラの素早いパン(首振り)によって撮られ、小気味よいテンポで編集されるそれらのパリの映像には、まぎれもない(映画の)<現在>が息づいている。

 なお『モンソー』に始まる連作のタイトル、<六つの教訓話/Six contes moraux>に含まれるmoral(morauxは複数形)というフランス語の形容詞には、

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