メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

緊急事態宣言、演劇界は東京都の「怠慢」に振り回された

根拠示されぬ「中止要請」と向き合いながら

伊藤達哉 演劇プロデューサー、「緊急事態舞台芸術ネットワーク」事務局長

 コロナ禍で舞台芸術界は1年以上、激しい「出血」を強いられてきた。当時の安倍首相が突然、「大規模イベントの中止・延期」を要請した2020年2月26日以降、膨大な数の公演が中止・延期を余儀なくされ、19年には6295億円あったライブエンターテインメント市場は、その8割を失った(ぴあ総研試算)。息も絶え絶えなところに3度目の緊急事態宣言が出た。演劇界を横断する「緊急事態舞台芸術ネットワーク」事務局長の伊藤達哉さんが現状を語る。(構成・山口宏子)

中止要請、猶予はわずか1日

 電話をかけても、かけても、呼び出し音が鳴るだけ。メールを送っても返信はない。

 4月24日、東京で演劇公演を主催している人たちは、朝から東京都と連絡をとるために、空しい努力を続けていました。

緊急事態宣言で会見する菅首相を映す大型ビジョン=2021年4月23日午後8時5分、東京都新宿区
 菅首相が記者会見をして、25日から緊急事態宣言を出すと正式に発表したのは23日午後8時でした。その後、深夜から未明にかけて、内閣官房コロナ対策室から各都道府県知事と他省庁の担当者に「事務連絡」が出され、それが文化庁から私たちのところにメールにて届いたのは24日の午前4時08分。公演主催者たちは、対応のために6時前から動き始めました。

 政府の基本方針で、イベントについては〈社会生活の維持に必要なものを除き、原則として無観客で開催するよう要請を行う〉とされました。

 演劇の場合、事前に同時配信を予定していた、ごく少数の例外をのぞいて「無観客開催」は不可能。実質、中止せよという通告です。

 チケット販売済みの公演は実施することができた2度目の緊急事態よりも、今回は厳しい対応を迫られるだろうと予想し、対応準備も始めていました。しかし、実施までに24日土曜のたった1日しかないタイミングでの発表に、現場は大混乱しました。すでにチケットを買っているお客様に周知するには、数日は必要です。その猶予期間をとれるのか、否か。

当事者である東京都の「怠慢」と「逃げ」

 先ほどの「事務連絡」には留意事項として以下が明記されていました。

 ただし、無観客化・延期等を実施すると多大な混乱が生じてしまう場合も想定されることから、このような事態と主催者が判断する場合には、例外的に、25日から直ちに無観客化・延期等を実施しないこととして差し支えないこともあること。ただし、この場合、催物の主催者は、該当の特定都道府県及び国の双方に相談の上、進めることとすること。

 これにより各主催者は国と都の双方と相談をはじめました。

 文化庁、経産省の窓口はすぐに連絡がつき相談に応じてくれました。しかし、肝心の〈要請を行う〉当事者である東京都の対応が余りにもひどかったのです。

 ふだんお付き合いのある生活文化局には「担当は別の部署」と言われ、教えられた部署に電話をしても、誰も出ません。時間だけが過ぎ、焦りの中で、ある劇場は25日からの休演を、別の主催者は27日まで公演し28日から休演すると、それぞれ発表をし始めました。

 どの主催者も、東京都の要請を正確に受け止めしっかり協議したうえで、お客様にできるだけ迷惑をかけないような対応を考えて、自分たちの決断を公表したいと思っていました。でも、それができなかったのです。

 公演一回一回には、チケットを買って、その日を楽しみしている大勢のお客さまの期待がこもっています。そして何十人ものキャスト・スタッフの生活がかかっています。その公演の中止を要請するのであるなら、東京都は、せめて主催者と誠実に向き合うべきではないでしょうか。それなのに、連絡もとれないとは――強い憤りを感じました。

 週明け26日になって、東京都から「27日まで中止を猶予としても結構です」と連絡を受けた会社もありました。しかし、その前に中止を決断した主催者には既に「手遅れ」でした。

 都の担当者から「国から事前に聞いていなかった」という釈明もありました。仮にそうだとしても、この緊急事態時に「土曜日だから対応できません」でいいのでしょうか。「聞いていなかった」のはあくまでも行政側の「怠慢」ですし、国に責任を転嫁する「逃げ」の姿勢からは首都の文化芸術を所管しているという当事者意識の欠如を感じました。はたしてスポーツと文化の国際的な祭典を行う覚悟があるのでしょうか。

 我々のネットワークが昨年末に実施したアンケートでは、回答した52 団体(主催団体41、スタッフ会社10、劇場1)だけで、2020年2月26日から12月31日までに、中止・延期された公演は6985 回、失われた入場者は498万853人、純損失額は約261億円に上りました。

 公演を中止にすると、すでに売れているチケットの代金を払い戻さなくてはなりません。手数料は主催者の負担です。例えば1000人の劇場でチケット代1万円の公演を10回中止にすると、1億円の売り上げがゼロになり、さらにそのうえ手数料1000万円の「持ち出し」になるのです。もちろん、公演を準備してきたそれまでの経費は回収できませんから、すべて主催者が背負うことになります。

 そうした負担に耐えながら、要請を受け入れ、劇場の扉を閉めてきたわけです。今回の緊急事態宣言が予定通り5月11日に終わったとしても、ネットワークの主要団体だけでもざっと2000回近くの公演が中止になる見通しです。

 このように血を流しながら協力している業界(我々だけでなく、飲食など、打撃を受けている業種はどこも同じです)に対して行政は、せめて、コミュニケーションを密にし、この措置が必要なのだと情熱をもって語りかける努力をしてもらいたい。それが高望みであっても、せめて窓口だけでも開けておいていただきたい。ネットワークとしてはこの1年のやりとりを通じて、文化庁や経産省とは信頼関係を築けた実感がありますが、今回の東京都の対応には失望しています。

根拠を示さない中止要請は「差別的」

4月25日からの「臨時休館」を知らせる東京芸術劇場の掲示=東京・池袋
 私たちは、自分たちがやっている演劇を、他の社会活動に比べて何か優位なものであるとか、優遇されたいなどと思っているわけでは、決してありません。

 医療をはじめ、人の生命と生活を守るために欠かせない仕事に従事しておられる方々に、深い感謝と敬意を抱き、そうした業務に支障が起きないことを最優先に社会が動くのは当然のことだと考えています。

 一方で、芸術やエンターテインメントは人が生きてゆくのに必要であるとも考えています。それをゼロから作り、人々に提供する生業に誇りを持ち、他の多くの仕事と同じように社会を構成するうえで不可欠な要素であると自負しています。ですから、根拠なく、まるで何かの象徴のように、いつも真っ先に「中止要請」の対象にされる現状には、強い疑問があります。

 我々のネットワークでは、公演実施のための厳しいガイドラインを作り、入念な感染対策を続けてきました。このガイドラインを大小あらゆる会場が守ってきたことで、劇場でのクラスターは1件も発生していません(昨年7月に東京・新宿の小劇場で集団感染が起きましたが、その後の調査で、劇場内で行われていたのは、演劇公演というよりは、観客と出演者が近距離で交流するイベントで、劇場外での接触もあったことが分かっています。もちろん、ガイドラインは守られていませんでした)。

 劇場で感染の危険があるというエンビデンスがないのに、いきなり名指しで「無観客、もしくは中止」とされることに納得がいきません。そして、舞台表現の面でも、経費の面でも簡単に実施できるわけではない「無観客」に気安く言及されることにも憤慨しています。

 人流を抑えるために、人が集まる場所を閉める、という理屈なのでしょう。しかし、劇場を閉めることで、はたして人の往来がどれくらい減るのでしょうか。通勤や、特に問題とされない日中の買い物や外食などと、どこがどう違うのでしょうか。根拠はまったく示されずに名指しされるのは「差別的」な扱いだと感じます。

 昨年7月に再開して以来、劇場では、どこも入り口で消毒、検温を実施し、連絡先をお預かりするなど、非常に緊張した状態で公演をしてきました。もちろん、お客様は全員マスクをし、私語はほとんど聞こえません。ロビーを含め飲食はできず、密を避けるために休憩時間を長くとったり、時間差で退場し、観劇後はすみやかにご帰宅いただくことをお願いしたりもしています。お客様と主催者が協力し合って感染防止に努めているのです。こうした実態を正確に把握したうえでの「中止要請」なのでしょうか。

 東京都内の4軒の寄席と落語協会、落語芸術協会は「大衆娯楽である寄席は社会生活の維持に『必要なもの』に該当すると判断しました」と、観客を入れて興行を続ける方針を示しました。

 〈社会生活の維持に必要なものを除き、無観客で〉という〝おかみ〟の言い方を逆手に取った意志表明には、演芸界の人々の怒りと反骨が込められるようで、胸がすく思いがし、勇気づけられもしました。個人的には「演劇もそうだ」と強く思っています。しかし、ネットワーク全体として考えると、劇場は寄席に比べて数が非常に多く、東京都の東京芸術劇場のように設置する自治体が閉館を決めている施設もあること、要請に従わないと申請している補助金を取り消されかねない懸念などから同様にはできないのが実情です。

 ※4月28日、都職員が落語芸術協会に赴いて口頭で休業を要請したことなどを受けて、寄席は5月1日から休業すると発表した。

なかなか届かない「必要な支援」

 休業を求めるのなら、セットで適正な補償をするべきだ。

 これは、昨年から、多くの業界が言い続けてきたことです。私たちも行政や政治に訴えてきました。その度に、「必要な支援はします」と説明されてきました。実際、2020年度の第2次補正予算が決まって以降、様々な補助金の制度が生まれています。「税金による補償はしない」という大方針の中、困窮する現場をなんとか支えようと、仕組みを工夫し、実現にむけて努力してくれた関係者の方たちには深く感謝しています。

 しかし、問題もあります。

 補助金は補償ではなく、新たな事業を実施する時に、それにかかる費用の一定部分を支援する仕組みです。つまり、公演中止による損失を抱えながら、それでもなお、次の新しいことを始められるほどの体力がない人・団体の支えにはならないのです。このため、将来ある若い人ほど、活動を続けるのを断念して演劇界を離れてしまっています。

 支給の遅れも深刻です。ある制作会社は昨年7月に文化庁の継続支援事業に申請して採択されたものの精算業務が滞りいまだに支給されていません。

 経産省の「コンテンツグローバル需要創出促進補助金(J-LODlive)」は、補助率の高さや予算額の大きさで、多くの主催者が頼りにしています。しかし、これも採択されているのに、いまだに支給されずに困っている例が多く見られます。

 文化庁も経産省も与えられた枠組みのなかで熱心に取り組んでくれているのですが、申請数が多く、各種の確認作業が煩雑で、仕事がなかなか進まないのです。一方、役所とのやりとりに不慣れな申請者が、複雑な手続きをうまくできず、あきらめてしまったケースも少なくありません。

 平常時と同じ枠組で今回のような緊急事態の対応をしている無理が、補助する側にも、される側にも大きな負担になり、結果として支援の遅れや必要なところに届かないという結果につながっています。現場と制度をうまくつなぎ円滑に進めるために、さらなる改善が必要です。我々も、より現実的で役に立つ仕組みの提言などを続けていきたいと思います。

 舞台芸術に関わる仕事をしている事業所のほとんどは小さな組織です。事業継続のための借り入れで何とか命をつないでいる会社が多いのですが、この状態が長引けば倒産が現実味を帯びてきます。長年培ってきたスタッフの技術など、いったん失われたら取り返しのつかないものを守ってきた組織の危機がやってくるのはこれからです。それを避けるための方策も考えてゆかねばなりません。

200団体が連帯、力を集め行動する

様々な劇場の写真が並ぶ「緊急事態舞台芸術ネットワーク」のホームページ

 最初の緊急事態宣言の中で「緊急事態舞台芸術ネットワーク」が結成されて1年がたちました。

 劇作家・演出家・俳優の野田秀樹さんが呼びかけたこのネットワークには、演劇に関わる制作・興行会社、劇団、劇場、専門スタッフの会社など約200団体が、規模、ジャンルにかかわらず参加しています。野田さん、東宝常務の池田篤郎さん、劇団四季社長の吉田智誉樹さんの3人が代表世話人、弁護士の福井健策さんらが世話人となり、コロナ禍の中で舞台芸術界が困難を乗り越え、安全な状況で活動を再開し再生していくために、情報共有、感染防止のガイドライン作り、政府などとの交渉を重ねてきました。

 苦しいことの多い1年でしたが、この経験の中で私たちは連帯することで生じた力をあらためて認識し、また、逆境に鍛えられてレジリエンシー(復元力、回復力)が身についてきたようにも感じています。

 そんな前向きな気持ちでいようと思っていてもなお、今回の事態は大きなダメージとなって弱った体にズシンと響きます。それでも踏ん張るためにはどうしたらいいのか。ネットワークの力を結集し社会と対話しながら、考え続け、行動し続けたいと思っています。