近くて違う日本の「語り芸」について【下】
2021年05月03日
落語、講談、浪曲。三つの語り芸についてつづった後半です。前半はこちら。
それにしても、なんで、落語と講談と浪曲が、どこかで融合しちゃわなかったんでしょうね。それぞれ、物語を語る芸だけれど、内容的にはどう違うんでしょうね。
落語は、なんといっても「笑い」です。
落語は、笑いという入り口があるから、敷居が低くっていいなあとうらやましいです。落語は、江戸時代に、江戸や京都、大阪といった大都市で、仏教のお坊さんのお説教にからめての笑い話や、大道芸の芸人などが始めた笑い話から始まったらしいです。
講談は、天下のご記録読み、とも言われて、歴史的なことを扱うものが多いです。
もともとは、戦国時代の大名、お殿様に仕えて、たとえば「太平記」などの戦いの記録を語って聞かせていたお伽衆が起源であるとうかがいました。お武家から生まれた芸らしい。だから口調も、落語にくらべると、格調高い、というか……格式ばっている、というか……カタイ、というか……いや、実にそれがカッコイイ。演題により、いろんな語り口調がありますが、ただ、お武家から生まれて、戦いにまつわる「怒り」が、講談にはあると言われているようです。
かたや、浪曲は、明治時代に生まれたのですけれど、突然生まれたわけではなくて、江戸時代までは、大道芸だったそうです。
ところが、ご一新後、明治政府が大道芸を禁止し、活動するには組合を作って「鑑札」をもらわなければならなくなった。そこで、大同団結して、「浪花節」という名称で鑑札を受けたのがはじまりです。
大道芸出身だから、道ゆく人の足を止めて、物語に引き込み、その上に懐から胴巻きを出してお金を出させなければならない……がために、極端な声を出し、振り絞るような芸をした……のが、いまも芸の特徴として残っているのだと思います。
その日の日銭で暮らしていたのでしょうから、貧しかっただろうし、貧しい人たちの心に寄り添ってきたものだから、涙を誘うような物語が本来多かったようです。ちょっと前までは「お涙頂戴」と言われていたように、浪曲は本来、「涙の芸」なのかもしれません。
先日のお仕事は、「浪曲広小路亭」でした。
上野広小路の交差点にある上野広小路亭で、月に一回開催される、浪曲の寄席だったのですが。
この日のテーマは「関東節で語る東海道中」。
旅のお話を四席並べました。
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