『つかこうへいのかけおち'83』⑤
2021年05月14日
NHKの銀河テレビ小説『つかこうへいのかけおち'83』が出来るまでをつづるシリーズの5回目。つかの〝口立て〟に応えて、25歳の大竹しのぶの演技が冴えわたった。
1983年7月25日から5夜連続で放映されたNHKドラマ『つかこうへいのかけおち'83』のリハーサルが始まったのは、その2カ月ほど前のことだったと思う。これもまた『つか版・忠臣蔵』のときと同じく、我々の劇団での芝居作りそのままに、つかの〝口立て〟によって、台本にはない台詞や、新しい場面などが次々と生まれていくというものだった。
普通のテレビドラマではまず考えられないそんな形が許されたのは、前回書いたように、やはり当時の「つかこうへい」という名前の力であり、プロデューサーの村上慧を始めとするNHKサイドの、その時代にあった、制約に捉われない自由な番組りのおかげだったろう。
このときの稽古で何より思い出に残っているのは、我々が十年来、稽古場で浴びせられてきた、つかによる罵声やねちっこいいたぶりが、一切影を潜め、ただただ機嫌よく、張りのあるその声が、毎日リハーサル室に響き渡ったことだ。
そうさせたのは『かけおち』という物語を引っ張るヒロイン、セツ子を託された大竹しのぶの存在であったことは、前回書いた通りだ。この女優との出会いによって、稽古場でのつかは、開始当初からひたすらトップギア状態が続き(なかなかあることではない)、彼女に芝居を付けて行く作業を心から楽しんでいた。
それはつかの芝居を長く支え、〝伝説〟となる空前のブームを共に駆け抜けた、平田満や三浦洋一、風間杜夫、根岸季衣らとの関係さえ、思わせるものだった。
『かけおち'83』の中には、そんなつかと大竹の共同作業ともいうべき〝口立て〟だからこそ生まれた「名台詞」がいくつもある。
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